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民間治療見聞録

第15話「オステオパシー」

ある時オステオパシーという聞きなれない治療法があることを知った。そこで、オステオパシーの第一人者といわれる古賀先生に電話をかけて、見学させて欲しいと頼んだら、九州の東唐津まで来てくれれば治療を見せてあげると言われた。
約束の前日、仕事を終えてから新幹線に乗り出かけていった。その晩は唐津のホテルに泊まったのだが、安ホテルの部屋の蛍光灯がジッジッと音をたてて点滅していてよく眠れなかった。
翌朝、約束の時間に遅れてはいけないと思い、2時間前には東唐津駅にやってきたが、昨夜から木枯らし一号が吹いて急に冷え込み、コーデュロイの上着しか着ていない私は寒くて凍えそうだった。

寒かった東唐津の駅

寒かった東唐津の駅

オステオパシーとは聞きなれない言葉だが、米国発祥の治療で、カイロのような体の歪みを治す整体のような治療法のことだ。ただしカイロと違うところは、オステオパシードクターいうのは医者であり、体の歪みの矯正で治らない病気には手術もする。
つまり整体師と医者の両方の資格を合わせ持つ医者のことをオステオパシードクターという。オステオパシーは戦前に日本に輸入され、盛んに治療に使われていたことがあったようだ。

初めて会った古賀先生は大柄な80歳くらいの老人であった。戦前に宣教師からこの技術を学んだという。初対面の私になぜオステオパシーに興味をもったかを話してくれた。
若い頃、先生がボタ山にのぼっていたとき、トロッコが暴走してきて足に激しくぶつかった。先生は編み上げ靴をはいていたが、靴は破れ、踵の肉が引きちぎれて皮一枚で踵の骨にぶら下がるという大ケガをした。手術をうけてなんとか歩くことができるようになったが大きな傷が残った。そこで先生はふと話をやめ、靴下を脱いで踵を私に見せた。深い傷が踵を取り囲むように残っていた。

しばらくはびっこを引いて歩かねばならなかった。悲劇がおこったのは傷が癒えだした頃からだった。
ある日、先生が目を覚すと部屋がかすんだように見える。何か炊きものでも焦がして煙が出ていないか母に聞いてみたが、なにもしていないという。
そうするうちに日ごとに目がかすんでいった。病院にいって目の検査を受けたが原因はわからないままどんどん見えなくなり、明るさがかろうじてわかっていたのだが、最後にはまったく見えなくなってしまった。お母さんに眼を見てもらうと瞳が白く濁ってしまっている。父親は瞳が白いのは格好が悪いので角膜に入れ墨をいれて黒くすることを勧めた。昔はそういう美容治療もあったらしい。だが、先生は嫌だと断った。

絶望感にうちのめされていた先生だったが、子供の頃によく親に連れていってもらった歌舞伎で、「神社にお参りして目が見えるようになった」という壷坂霊験記(つぼさかれいげんき)を思いだした。
そこで毎日、朝晩2時間ずつ仏壇の前に姿勢を正して座り、「どうか眼がみえるようになりますように」と祈ったという。すると不思議なことがおこった。

数ヵ月がたった頃、薄ぼんやりと明かりがわかるような気がした。そして日に日にそれは明るさを増し、ぼんやり物が見えるようになった。その後も正座を続けるうちに、まったく正常に見えるようになった。
そこで先生は話をやめてつぶやいた。「もし父親の勧めに従って墨を入れていれば、永遠に光をみることはなかっただろう。」

「どうして見えるようになったのですかと」と私は聞いた。すると先生は
「ケガで体が歪んだせいで頭蓋骨まで歪んでしまったのだ。正座して姿勢を正しているうちに体の歪みがとれ、それにつられて頭蓋骨の歪みが治った」という。
だが私にはとても信じられないことだった。私が考えこんでいると、その様子をみてとったのか、先生は午後からの診察を見学するようにいってくれた。この診療も不思議なものだった。

頭蓋骨の歪み頭蓋骨が歪むと聞いてもなかなかピンとこない。でも耳の高さが左右で違って眼鏡を斜めにかけているような人を見たことがあるかもしれない。顔もよく見ると、鼻が曲がっていたり、唇の左右の高さが違っていたりと、左右対称の顔の持ち主はほとんどいない。
この顔の歪みを先生は、背中をバッキと捻じっただけで治してしまう。左右の耳の高さやほお骨、鼻の骨の位置もまっすぐになる。不思議でしょうがないのだが患者さんの顔を触らせてもらって確かめると、たしかに真っ直ぐになっている。

寄付を集めるパンプレット

寄付を集めるパンプレット

治療が一段落すると、アメリカへ行った時の話を始めた。このオステオパシー治療の発祥地である医科大学は、どんなにすばらしい技を持っているのか以前から気になっていたのだという。
アメリカの医師たちは、日本から来たオステオパシーの治療師の腕が気になった。そして先生に治療の手技をみせてくれと頼んだ。先生が手技を披露してみせると、アメリカ人の教授たちは驚き、先生を寄附講座の教授にした。

先生は東京でも治療していたので、何度か東京にお邪魔して治療を見せてもらった。また私のクリニックまで来てもらって治療してもらったこともある。それは緑内障の治療だった。

緑内障とは眼球の内部の圧が上がって失明してくるという難しい病気だ。緑内障は眼球が入っている頭蓋骨の穴(眼窩)がゆがんで眼球を圧迫しておこるのだと先生はいう。

この話を眼科医が聞いたら、あまりにも馬鹿げていると笑いとばすだろう。
緑内障の患者4人を先生に治療をしてもらった。すると一回治療しただけで3人の眼圧が平均4~5ほど下がったのでびっくりした。
先生の治療法は複雑すぎて、漢方医として臨床をしながらオステオパシーの治療をすることは無理だった。

先生の話の中で私が感心したのは、アメリカ人の発想の自由さだ。民間治療師の古賀先生を教授にすることで、何十年もかけて先生が蓄積してきた技術を巧みに大学は取り込んだ。アメリカで行った治療はすべてビデオに納められて保存された。先生はアメリカの医科大学の教授として自分の治療法が認められたことに満足していた。

体の歪みと視力

左:受診時、右:6ヶ月後の写真

左:受診時、右:6ヶ月後の写真

見学から帰ってきてから、しばらくして私は体が歪むと目が悪くなるという症例を経験した。患者さんは40歳の男性。交通事故で右下肢を骨折した。手術をしたが骨が癒合せず半年後に再手術をした。しかし、1年たっても骨はつかなかった。

患者さんは装具をはめ、松葉杖をついて私の治療を受けに来た。骨折が治らないだけなく、最近になって目も悪くなってしまった。病名は中心性網脈脈絡膜炎。眼科で治療を受けるもよくならず、暗い気持ちになっていた。

私はまず骨折から治療しましょうといって、骨折を治療した。6ヶ月で完全に骨折は治った。すると目のほうは治療するまでもなく治ってしまった。やはり目と骨格の歪みは関係がある。

それからというもの体の歪みと視力に関して研究していった。すると、腰痛の人に鍼をすると腰痛が取れるばかりでなく、視力が良くなることもあることが分かった。だから古賀先生が体験した視力の回復は多分本当なのだろうと思うようになった。

古賀先生はその後亡くなり、10年以上の歳月が過ぎていた。私は古賀先生の一番弟子の石田さんと連絡を取り合い、神戸に来た時に時々教えてもらう機会があった。
ある初夏の日、古賀先生の第一弟子の石田さんから電話がかかってきた。
「私も歳なので特別な治療を教えるから佐賀県まで来なさい」という。私一人で行って治療されても分からない。患者役がいると思い知人に同行を願った。

石田さんは同行した知人を裸にして背中にマジックで骨の位置を描きながら詳しい治療法を教えてくれた。
帰る時に石田さんが「古賀先生の治療を収めたビデオが12巻ある。持って帰ってもらおうとしたのだが、金庫に入れていて鍵が見つからない。鍵を見つけて送るから」と言ってくれた。

昭和51年に撮影された古賀先生の治療ビデオ

昭和51年に撮影された古賀先生の治療ビデオ

2カ月ばかりしてビデオが送られてきた。昭和51年に撮られたビデオだからカラーが薄くなり、ところどころ砂あらしのような画面だが、すべての治療法が解説してある。石田さんにとってお宝のビデオであったに違いない。
何度も繰り返してこのビデオを見ることで、私の腕は急速に上がった。自分で努力してきた10年分の技術を、一気に教えてもらったようだった。

何故、古賀先生が本場のアメリカ人ドクターより腕が上がったか?

考えてみると不思議な気がする。民間治療師である古賀先生がアメリカのドクターたちよりはるかに腕が上がった理由は何なのか?
それは民間治療師だからだ。

オステオパシードクターは、カイロプラクティックのような日本の鍼灸師のような資格ではなく、本当のドクターだ。だからオステオパシーの手技で治らない、たとえばヘルニアによる坐骨神経痛なら手術をするし、ブロック注射もする。つまり手技で治らないものには医療という逃げ場がある。

だが古賀先生にはそれがなかった。それが彼の腕を上げたのだ。
また先生は天才的な指の感覚をもち、生涯努力を続けてきたからこそ、先生の技術が欲しいアメリカのドクターたちは、先生の技術と交換に名誉教授の称号を送ったのだ。

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