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民間治療見聞録

第10話「武道家のマッサージ師」

平谷マッサージ師の治療

平谷マッサージ師は、背は低いのだが胸板が厚く、腹はえぐれたように引き締まっている。とても70歳とは思えない。柔道3段、合気道4段、道場でのあだ名は化け物というほど体力がある。指も太く、親指の太さは私の2倍以上だ。
平谷氏は若いころ漁師をしていた。網を使った漁の時、網に指をかけて巻き上げていくのだが、寒い時期は指が疲労と寒さで伸びなくなってしまう。そんな時は指先を口にくわえて引っぱらねば伸びない。そんな若いころからの苦労のおかげで指には力があり、患者をバンバン治していく。

そんなに体力がある先生だが、背中の筋肉を緩めるときには、患者をうつ伏せに寝かせ木の棒を使って、背中の筋肉を押して緩める。背中の起立筋は姿勢を保つ筋肉なので、とても指では緩まないのだ。この先生の治療は痛い。痛くて悲鳴を上げそうになる。だが治療後、とても爽快な気分になる。「3人ばかり気絶させたことがある」と先生は冗談をいう。
治療を受けて分かったのだが、痛いほどに筋肉を緩めないと筋肉の芯が緩まない。アンマに行ってもすぐに凝ってしまうというのは、芯の凝りが取れていないためだ。先生はきつく押すのだが、後で揉み返しがほとんど起こらない。その秘訣については、私にこっそり教えてくれた。

先生は猫背も治るという。つまり歪んでしまった骨格でも治るというのだ。私は子供のときからの猫背なので、本当かどうか7ヶ月で100回通った。すると確かに猫背はよくなり、肩幅も広がって、洋服のサイズが42から44に変わってしまったから、手持ちの上着が着られなくなった。

腕のいい平谷先生なのだが、治療中にヤラシイ話ばかりする。「仙骨のあたりに男性を勃起させるツボがある。昔、マッサージ学校の同級生だった女の子に仙骨付近を指圧してもらっていると、急に勃起してしまった。決して同級生が好きだったわけではない。とても不思議だったので、女の子にパンツを下げて見せた」という。私は内心また始まったと思った。

「自分で治療していても時々男の人が勃起する。そんなときは知らんふりをして治療を中断してあげる。もしこのツボが解明されれば、大金持ちになれる。インポテンツで悩んでいる年寄りが高い料金でも治療を受けにくるはずだ。」なんて馬鹿な話をするのだと思っていたが、何度も治療を受けるうちに私も2度ばかり硬くなりかけたことがあり、この話は嘘ではないと思うようになった。

ある日、平谷先生はめずらしくまじめな話をした。「うつ病の患者を治したことがある。左の首が凝るとウツになり、右の首が凝ると躁病になる」という。ちょうどその時、私の医院に重症のうつ病の患者さんが通っていた。起きる時間は夕方、寝るのは明け方、昼夜が逆転して、精神科で多量の抗ウツ剤を投与されていた。先生の言うことが本当なら少しくらい効くかもしれないと思ったので、受診を勧めてみた。

患者さんから電話がかかってきた。「治療を受けてから急に眠れなくなって、ここ2日間まったく睡眠が取れない。大丈夫でしょうか?」という。
一般に、うつ病の人の睡眠は逆転したようになる。躁病の人は興奮して何日も眠れない。私は「ウツ状態から躁状態に転換したのではないか。体が反応していることは間違いないからもう少し治療を続けてみては」とアドバイスした。すると治療を続けるうちにウツ病は治ってしまった。

先生は若い頃、手がだるくて仕方がなかったという。本気で治療しようとするとそれくらい消耗する。
ある晩、夢の中に天狗が現れてだるい両手を刀で切り取り、グローブのような手をつけてくれて姿を消したという。それ以来手に疲労を感じることは無くなったという。

ハリウッドスターのセガールは先生の兄弟弟子にあたる。彼がアメリカから帰ってくる時、弟子が自分の車をピカピカに磨いてお迎えにいくとセガールは特別早く昇段させたという。

彼からは重要なことを学んだ。それは本当に筋肉を緩めようと思ったらものすごく力がいるということだ。
彼でさえ起立筋を緩めるときは棒の力を借りねばならないほどだからだ。つまり一般のあん摩やマッサージは相当に力を抜いているといえる。ただし、きつくやると揉みおこしなどの副作用が大きく出るので、それを上手く扱う技術をみがかねばならない。

ここでもうつ病という精神疾患が整体で治ることを経験した。

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