第5話「丸剤を作ることへの様々な障害」
私がこの漢方医を書く最大の目的は漢方を解ってもらうためなので、時々、医学生に教える講義ノートを引っ張り出して、必要なことをすべて盛り込むようにしている。料の話や生薬一字銘なども講義で話す事柄だ。こういった知識はお医者さんでも知らない人が多い。この漢方医を読めば、詳しい漢方の知識を得ることが出来るようにしているつもりだ。
一般の人も楽しく読みながら漢方を知ってもらいたいと願っているので、あまり専門の話が多くならないように、また面白くしているつもりだ。ただし、話を面白くするための創作は一切ない。すべて事実だ。文才のない私でも漢方医学の話を混ぜながら話を進めることが出来るのは、医学部で漢方の講義などなかった時代に自分で学んできた漢方について書いていけば、それがおのずと初心者が漢方の知識学ぶ道のりと同じだからだろう。
さて、丸剤を作る時に最初に問題になるのは生薬を粉にすることだ。粉が細かくなければ丸剤にすることが出来ない。すくなくとも80メッシュの篩を通るまでに細かな粉にしなければならない。
モンゴル医学でも粉末は大事と考えていたようで中蒙医学院を見学に行った時もそこの医者が粉末薬をスプーンに取ってひっくり返して紙の上に山を作ってみせた。そして「このように綺麗な丸の形にならないような粉でなければ本来の効き目がでない」と説明してみせた。
細かい粉にするにはいくつもの篩をかけ、さらにすり潰してかなければならない。
大阪市の東側に生駒山麓が続いている。近鉄電車の石切駅を降りると急な坂が続いている。ここは昔からその辺には生薬を粉にする工場が多い。何故かというと、急な傾斜を利用して水車で生薬を粉にしていたからだ。丸剤を作るためにいちいち薬研で粉にすることは出来ない。だから小麦粉やコメを粉にするように生薬も杵でついて粉にしていた。

石切にある水車
今はどの工場も機械を用いて粉にするが、石切には生薬末を粉にしていたことを記念して水車が作られている。
実際に水が流れ動いている。水車小屋には小さな臼と杵があり、杵が動いているのを観察することが出来る。そこに行く道は車が1台通ることができるかどうかの細い急な坂になっている。坂になっていればいるほど水の流れは速くなる。
丸剤作りに悪戦苦闘しているうちにいろんなことが分かってきた。まず丸薬はとても飲みやすい。仁丹や正露丸は味や匂いがするように作られているが、表面をコーティングすればほとんど味も匂いもしなくなる。だから煎じ薬よりはるかに飲みやすい。またいっぺんにたくさん飲めることも分かった。慣れると1日20g位は楽に飲める。
保険薬ではオースギ製薬の黄連解毒湯の錠剤やコタロー漢方製薬の麻黄附子細辛湯のカプセルが売られている。黄連解毒湯の場合は1日15錠、麻黄附子細辛湯の場合は1日6カプセルが服用量だ。エキスを加工したもので、匂いも味もしないので飲みやすい。これらは元々少ない服用量だからできた処方だ。だが一般の漢方薬はもともとの処方量が多いから錠剤やカプセルにすることは出来ない。私も漢方薬を錠剤にして患者さんに投与することを考えて研究したことがある。
飲みやすい錠剤の大きさは一般に1錠250ミリグラム、直径7ミリ。打錠機で実際に試作してみた。生薬末を20g打錠すると80錠の錠剤が出来上がる。1日80錠の錠剤を飲むことは困難だ。一方の丸剤は球状の形と表面のコーティングが水と共に嚥下する作用を助けてくれる。だから一度にたくさん飲める。おまけに長期保存がきく。煎じ薬は前編でお話ししたように虫の卵が羽化することがあり、温度管理に相当気を使わねばならないが、そんな心配もない。
近年、生薬が高騰している。値段が4倍から5倍になったものもある。中国での需要が高まっただけではない。生薬は中国内陸部で取れるが、内陸部は沿岸部に比べて貧しい。中国政府は内陸部の経済格差から暴動が起こるのを恐れて農民から生薬を買う値段を意識的に高くしている。そんな事情から生薬は貴重品となってきている。将来、中国は生薬を戦略的輸出物質と位置づけ、レアアースのように使おうとしているという。そういう状態になれば、生薬をただ煎じてその上澄み液だけを飲むという贅沢な使い方は許されなくなる。そうした時に丸剤は一つの答えになるはずだ。
丸剤製造の困難さ
機械を買い替えながら丸剤を作っていくうちに丸剤を作るのに大きな壁が3つあることが分かってきた。まずは機械を使いこなすノウハウ。前にも書いたが丸剤作りは難しい。作り方の本などないから誰かに教えてもらう他はない。機械の注文からセッティング、賦形剤(丸剤にするための粉)の選びかたまで研究しなければならない。幸いにも私には古くからの友人がいた。薬剤師で製薬会社の工場長、生薬や丸剤にも詳しく、中国語もできる。この人がノウハウを教えてくれた。
2番目の問題は私も想像もしていなかったことだ。ある時、生薬を丸めるために必要なトウモロコシの澱粉を買おうとして問屋に注文を出した。するとコンプライアンスに問題があるから売れないと言う。どうして澱粉を売ることが法令に違反するのだろう。いろいろ調べてみると、医者が薬を作っている、普通の医者がしないことだ、妙なことに巻き込まれたくない、ということらしい。妙なことと言っても食品を売っても法律違反になるわけではない。医者が澱粉を買うという前例がないので、止めておこうということなる。丸剤の機械の改造も大変だった。いろんな鉄工所にあたったが仕事を引き受けてくれるところは患者さんの紹介してくれた1か所しかなかった。日本人は子供の時から制服を着て育てられるからか、少しでも違ったことをする人に警戒心を抱く。私もそういう中で生きてきたわけだが、今までは何の不自由も感じたことはない。だが、人と少しばかり違う生き方をしてくると、何度もそういう場面に出くわしてきた。
アップルの創業者のジョブスはガレージでパソコンを作ってそれが大ヒットし今日の栄光の基礎になった。初めは金が無くて大量の部品をツケで買ったというが、信用のない若者にでも完成品さえよければ金を貸してやるという自由な雰囲気がアメリカにはある。日本に何故アップルのような会社が出来て来ないのかと話題になるが、生まれてこない理由は私たちの心の中にある。少しでも自分たちと違うと排除するのだ。昔の私を含めてそんな障害があると思っていないから、ますますたちが悪い。
3番目の問題はもう少し深刻だ。それは行政指導だ。行政指導の例を一つ上げてみよう。私が鍼灸院を医院に併設しようと、保健所に開設届を提出しにいった。職員は私が医者だと分かると、「医者は鍼灸院の開設者にはなれない」という。「何故ですか?誰でもなれるはずですが?」と聞いてみると、担当者は「法律的根拠はまったくない。だが駄目です」と言う。問題なのは法律にないことを行政指導していることだ。法律的に認められているのだからと3回保健所に足を運び、やっと許可をもらった。今度は東京で鍼灸院開設の相談に保健所に行くと、「どうぞ何の問題もありません」という。都道府県でこれだけ違うと怖くて仕事が出来ない。よく医療は法律でがんじがらめにされていて規制緩和をすることでビジネスチャンスが生まれるといわれるが、法律のないところでもがんじがらめにされているのだ。
こんな問題を解決するために私は優秀な弁護士と知り合いになりたいと思っていた。ある日、そんな弁護士が二人、忽然と私の前に姿を現した。この状態をどう説明したらいいのだろう。キリスト教徒なら「神は私の願いを聞き入れて私の下に2人の使徒を送られた」とでも言うのだろ。私はこの弁護士にヒロ・ザ・ナイフ、ノブ・ザ・ナイフとあだ名をつけている。ナイフのように切れるという意味だ。2本のナイフのおかげで私の不安は解消した。
- 第5話「丸剤を作ることへの様々な障害」
- 2013年04月12日
「漢方医<後編>」目次
- 第1話「丸剤を知るきっかけとなった本との出会い」(2013.03.15)
- 第2話「モンゴル医学とは」(2013.03.22)
- 第3話「山本巌先生から癌を治す処方を伝授される」(2013.03.29)
- 第4話「製丸機を買う」(2013.04.05)
- 第5話「丸剤を作ることへの様々な障害」(2013.04.12)
- 第6話「山本先生亡き後、漢方の発展を考える」(2013.04.19)
- 第7話「処方の解析に丸剤を使う」(2013.04.26)
- 第8話「一般の医者は漢方を信じていない」(2013.05.03)
- 第9話「保険漢方の普及が漢方医の首を絞める」(2013.05.10)
- 第10話「新しい薬を作らない漢方医たち」(2013.05.17)
- 第11話「技を伝承する難しさ」(2013.05.24)
- 第12話「先人たちからの遺言」(2013.05.31)
- 第13話「絵とフェイスタイム(FaceTime)」(2013.06.07)
- 第14話「東京へいく決心をする」(2013.06.14)
- 第15話「東京の調査」(2016.01.25)
- 第16話「東京人って本当にいるの?」(2016.04.25)

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