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漢方医

第1話「丸剤を知るきっかけとなった本との出会い」

本好きの人間にとって自分の人生を変えてしまう本に出合うことができたなら、それは夢のような出来事に違いない。
1990年の夏、幸運にも私はそんな本と出会った。しかしながら出会った時、その本が自分の人生にとてつもなく大きな影響を与えるとは思ってもいなかった。旅のついでに買い求めた本だったし、本が中国語とモンゴル語で書かれていたことも影響していた。だからその本が本棚の隅に追いやられ、私の人生に何も影響を与えなかった可能性も高かった。

よく「幸運の女神の後ろ髪を掴め」という。多くの人は幸運の女神が自分の前にいるのに気づかずにいる。いい人と付き合っていたのだが、なんとなく別れてしまった、でも後で考えるとどうして結婚しなかったのかと後悔する、安定した会社に就職ができたのにその意味が分からず辞めてしまったなど、多くの人は幸福の女神がそこにいることに気づかない。目の前を通り過ぎていこうとする幸運の女神にようやく気づき、やっとの思いで幸運の女神の後ろ髪をつかむ。「幸運の女神の後ろ髪をつかめ」という諺は、気づかないところで幸運の女神が目の前を通り過ぎてしまうことが、いかに多いかを示している。

やってくる幸運を、誰も腕を広げて待つことはできない。よほど意識していないと幸運は腕の中をするりと潜り抜けて行ってしまう。私がその本に影響を受けながらもその本の重要性に本当に気づくのは本を買い求めてから10年以上経って山本先生が亡くなられてからであった。

内モンゴルで出会った一冊の本

内モンゴル1990年の夏、私は陶さんと陶さんのお姉さんの蘇さんが内モンゴルに里帰りするのについて行くことにした。私だけではなく陶さんたちが中国語を教えている生徒4人、総勢7人で行くことになった。生徒と言っても中年と老年のご夫婦の4人。この人たちは習った中国語を使いながらの観光旅行、私は漢方研究が目的なのでグループとは途中で別れ、蘇さんが通訳として同行してくれるという予定を立てた。

内モンゴルの首都フフホトにつくと陶さんの家族が我々を迎えてくれた。娘たちとやってきた私たちを歓迎するために陶さんのお父さんは我々を政府の高官しか利用できないレストランに連れていった。レストランの外観は普通の平屋だが中にはチャイナ服を着た女性たちがおり、ロビーにはミラーボールが光を放ちながら回っている。そこには当時の中国にはない歓楽的な雰囲気が漂っていた。
我々の前に数々の珍しい料理が運ばれてきたが、印象に残ったのはラクダのコブを短冊に切った料理だ。コブは脂肪の塊だが湯通ししてあるのか、あまり脂っこい感じがなく酢の物のクラゲのようだった。もう一つは牛のペニスを炒めて甘辛いソースをかけた料理で、グニャグニャした歯ごたえが気持ち悪かった。

翌日は民族衣装を着た人たちの踊りを見に行った。踊りが済むと司会者から誰か歌ってくださいと観客に声がかかった。一緒に旅行に来た老夫婦が舞台に立ち、四季の歌を歌い始めた。下手な歌を延々と歌うと中国人らしき観客がいい加減にしろとばかり叫んだ。それを聞いて私のグループの一緒に行った中年カップルの旦那さんが中国語で言い返した。その途端、なじった男は旦那さんに駆けより殴りつけた。顔を拳で叩く鈍い音が何度も響いてきた。私は思わず止めに入ろうと立ち上がった。すると周りから何本もの手が伸びてきて、優しく私の腕、肩、足などをつかんで離さない。ふと気づくと周りにいた欧米人の観客が何も言わず、私の体を握りしめている。そうか、私がケンカに加わると誤解しているのだと思い、仲裁を諦めて静かに席に腰を下ろした。

ケンカが収まってしばらくすると見知らぬ年配の日本人が私の所にやってきた。「よく分からんで中国語を使うからあんなことになる。殴ってきた奴は朝鮮族と日本人のハーフか何かだろう。劣等感をもっているから過剰に反応したのだ」と言う。
「俺は陸軍中野学校(日本のスパイ学校)出身だ。中国語ができないふりをして旅行している。不慣れな言葉は使わないことだ。」そう言うとニヤニヤしながら行ってしまった。

kan2_1_2次の日から私と蘇さんは別行動になった。まずは中蒙医学院(医科大学)を見学に行った。学校には何万種類もの生薬見本が置いてあり、ウナン教授が案内してくれた。
ウナン先生は第2次世界大戦中に日本に留学していたが、中国のスパイと間違われ生活費にも困る状況になった。その時、指導していた日本人の教授が自分の給料の半分をウナン先生に分けてくれたおかげで無事学位を取ることが出来た。そんな事情から日本人をとても尊敬していた。私が留学中の陶先生の生活費の一部を出していたことをウナン先生は知っているので、私の研究に役に立てばと思い、図書館から貸し出し禁止の漢方の本を持ち出してきた。「中国では文化大革命の混乱期があったので、いい本が捨てられてしまって残っていない。この本を貸してあげるから日本でコピーして国際郵便で送り返しなさい」といって貴重な本を貸してくれた。この本はとても貴重な本だったが、私の人生を変えるまでの大きな影響を与えなかった。

kan2_1_3夜はゲルに泊まることになっていたので郊外に移動した。車で少し走ると見渡す限り草原が続いている。夕方になって私は蘇さんと散歩に出かけた。しばらく歩くとゲルが見えなくなった。平坦に見える草原にも緩やかな起伏があり、ゲルは低い場所にあるので蘇さんと私以外何も見えなくなった。見えるのは草原と空だけ。360度広がる地平線の中にたった二人取り残されたようだった。暮れなずむ草原に腰を下ろしていると遠くでチカチカ光る物が見える。その光はだんだんと大きくなって遠雷だと分かった。静かな稲妻がどこまでも広がる空と草原をつないでいた。

ゲルに戻ると観光客の団体で賑わっていた。ドイツからきたグループのリーダーが私に「何処から来たのか?」と話かけてきた。私が医者だと分かると、一行の中に体調の悪い者がいるので見て欲しいという。患者は中年の女性で右の瞼が大きく腫れている。麦粒腫(メバチコ)だ。皮膚を切開して膿を出すと治る。私が消毒用のアルコール度の高い酒を用意し、持っていたポケットナイフをマッチの炎で消毒していると、蘇さんが「明日まで待ってみたら?夜は緊急事態が起きたら対応できないでしょ」と言う。私はリーダーに明日まで待ってから切開することを告げて床についた。翌日、患者の麦粒腫は勝手に破れ、膿が出たおかげで患者は痛みから解放された。ドイツ人のグループと別れる時、リーダーが私の名刺をくれという。名刺を渡すと日本語の名刺の裏を返して頭を左右に振った。迂闊にも私は名刺の裏に英語表記を入れていなかった。

モンゴルでは高価な麝香(じゃこう)が取れる。麝香とはジャコウジカの匂い袋から採れる生薬で、20gで30万円もする。漢方では気つけ薬として使用される他、香水の原料にもなる。フフホトで買えば少し安いのではないかと思って生薬店に行った。高価なので小さなビニール袋の中に0.3gの麝香を入れて売っている。蘇さんが「本物か」と店員に聞くと、「60%が本物だ」と言う。残りの40%は何か分からない。ウナン先生によると桃につく虫の糞だという。そういえば子供の頃、庭で桃を栽培していたが、時おり尺取虫のような小さな虫が桃の実に穴をあける。その糞が麝香によく似ていた。中国では紀元前から混ぜ物として使われているというから偽物作りにも恐ろしく年季が入っている。

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