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漢方医

第3話「山本巌先生から癌を治す処方を伝授される」

日本に帰ると山本先生にモンゴル医学のことを報告しようとモンゴル医学の本を丁寧に見ることにした。すると私の知っている漢方薬が時々出てくる。そこでメモを取りながら数えていくと87種類の生薬があった。この87種類の漢方薬は少なくとも粉にしても使えるはずだ。そこで本に出てきた生薬のリストを持って山本先生を訪ねた。丸剤と散剤しかないモンゴル医学の話をしてリストを渡すと先生は興味深く話を聞いてくれた。

しばらくして山本先生は保険薬の桂枝茯苓丸料の中に桂枝末(シナモン末)を5%ほど混ぜて使うようになった。混ぜるとシナモンのいい香りがして桂枝を入れないエキスより効きがいい。柴胡桂枝湯など桂枝の入っている処方にもすべて桂枝末を使いだした。私も保険のエキス漢方に混ぜて使っていった。安中散には焼いた牡蠣末と桂枝末を入れる。やはりよく効く。

薬の効果はいいのだが、生薬末を入れた代金を患者さんからもらうことは出来ない。混合診療になるためだ。生薬末の値段は高くないので、効かない保険エキスを出すよりよほど患者さんのためになる。だから無料でもいい、そう思って薬を出し始めた。だが負担はそれだけでは済まなかった。粉を混ぜて出すためには分包してある製品を買うのではなく、ボトルに入った薬を買い、それに生薬末を混ぜて出さなければならない。生薬末を混ぜてから分包機にかけて1包ずつ分包紙に包んで出す。分包紙は結構な値段で、月に何万円も費用がかかる。何より費用がかかるのは人件費だ。エキス漢方の重さを測り、生薬末を混ぜ、分包機にかけそれを小分けして薬袋に入れる。そんな作業に少なくとも1-2人従業員を多く雇う必要がある。それだけ費用がかかっても保険で請求できる金額は分包品をと変わらない。だからとても大変な薬作りになった。

帰国してからしばらくして実家を訪ねると、父と母がうなだれてソファに座っている。どうしたのか聞くと「親族(具体的な名前を書けない)の癌が再発したのだ」という。私は両親を励ますように「山本先生に治してもらおう」と言った。

山本先生を訪ねると診察した後で、一枚の紙を取り出して幾つもの生薬を生薬一字銘で書いていった。その紙を私に渡して「先生、これを処方してください」といって治療を私に任せた。山本先生から癌の処方を教えてもらうのは初めてだった。処方を教えてもらったのは嬉しかったが、自分が診ていかねばならないのはとても負担だった。山本先生の薬はとてもよく効き、親族は元気になった。再発があるのかどうかは5年が一つの基準だ。無事5年が過ぎた時、私は嬉しさのあまり親族に海外旅行をプレゼントした。

生薬一字銘とは半夏=守、附子=走、石膏=羔、大黄=虎
など生薬の名前を省略して1字で記載する方法のこと。略字を知ってなければ理解することができない。

山本先生に処方を教えてもらったおかげで私は癌患者が治せるようになった。無論、どんな患者さんでも治せるわけではないが、処方を患者さんの状態に合わせて加減していくことで、とてもうまく治ることもある。ある時、43歳の主婦が癌治療のために訪れた。大腸癌の腹膜転移があり東京の癌センターで余命5ヶ月と診断された。様々な病院や最先端治療を試した後で私の医院を訪れた。幸いにもこの処方は患者さんの命を救い、10年以上たった今も元気に過ごしている。

山本先生は処方を師である中島随象(ずいしょう)先生から伝授されたという。ある夜、山本先生のもとに中島先生から電話があった。「今から自宅に来い」という。夜の時間だったので、山本先生が「他の弟子も連れていきましょうか?」と聞いても「一人で来い」と言いわれた。訪ねると中島先生は「癌には通導散を使え。これが私の遺言だ」と言われたという。

通導散はもともと打撲に使う薬だ。馬に蹴られたり、馬車に引かれたりして内出血が起こり、ショック状態になって死んでしまう人を治す。山本先生から通導散を伝授された話をうかがった時、これが一子相伝なのだと思った。弟子の中で一番腕のよい弟子に秘伝を授けることを一子相伝という。残念ながら私は山本先生から一子相伝の技術を受けついだわけではない。山本先生はもう少し多くの弟子に技術を伝えて発展させようと考えていた。

日本に帰ってからもモンゴル医学に生薬末や丸剤が多い理由を模索した。まず普通に使われる漢方薬が粉末としてもつかえるかを調べた。中薬大辞典を見ると煎じ薬としてまたは粉末にして用いると書いてある生薬もあれば、粉末にして用いると書いてない生薬もある。ある時、北京中医学院の名誉教授である劉先生にお会いする機会があったので、「漢方薬は粉末にしても使えますか?」と聞いたところ「一般論として使える」との答えを得た。ではどうして中医学には粉末や丸剤が少ないのか?

漢方の歴史について書いた本を読んでいると、中国の北方で鍼灸が発達し、南の揚子江や黄河といった肥沃な土地で煎じ薬が発達したと書いてあった。確かにモンゴル平原でも麻黄(まおう)や鎖陽(さよう)といった生薬は取れるが大半の生薬は南で取れる。つまり南でしか取れないからモンゴルでは貴重品だ。貴重品の生薬を煎じて飲むと煮出した後の生薬に有効成分が残る。もったいないから粉にして全部服用するようになったに違いない。旧知の中国人に聞いてみると「草原には水がないからだ」という。たしかに水も貴重だ。だから丸剤を水で飲み、粉末を少量の水で煎じてその残渣まですべて服用するのだろう。

木製の薬研

木製の薬研

でもなぜ中医学には丸剤や散剤が少ないのだろう?これは自分で丸薬を作ってみるまで分からなかった。生薬を粉にしたり丸剤にしたりするのは大変な労力がかかる。だから粉にしなかったのだろう。生薬を粉にするには薬研(やげん)という道具を使う。テレビドラマなどでクワイ頭(チョンマゲでなく、ポニーテールのような髪型)をした江戸時代の漢方医が薬研で生薬を粉にしている姿を見たことがあるかもしれない。粉砕機が無かった時代、粉にするだけでも大変な労力だったに違いない。丸剤にするにはもっと手間がかかる。そんなわけで生薬が豊富に取れる中国南部では採取した生薬を刻んだだけで煎じて服用していたのだろう。

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