第333回「ヒカサかヒガサか?」
戸籍は漢字登録するもので平仮名の表記はない
最近、国は戸籍に勝手にフリガナをつけているが、使っている本人の許可はとっていない。私の名前は日笠 穣だが、ヒガサミノルと名乗っている。理由は明白で、医者が親戚に多いからだ。
父は日笠譲【ゆずる】、叔父は日笠敦【あつし】 従兄弟は日笠聡【さとし】、兄は日笠豊【ゆたか】、もう一人の叔父は歯科医だが日笠修【おさむ】、遠縁の親戚には京大の教授をしていた日笠がいる。これだけ多いと、論文を書いても何処の誰だということになる。仕方なく本来はヒカサなのだが、ヒガサと表記することを選んだ。
言葉は澄むと濁るで大違い、刷毛(はけ)に毛があり禿(はげ)に毛がない
父の【ゆずる】は晩年衛生研究所の所長をしていたから英語の論文があり、兄の【ゆたか】は亡くなった後も継続して本が出版されている。従弟【さとし】は血液学の専門家として大学で教鞭をとっている。

日笠 敦(出典:JSPO)
叔父の【あつし】は医学生の時からバスケットのオリンピック候補だったが、戦争で行けずにオニヅカタイガー(アシックス)の研究所の所長をしていた。叔父は県立病院の医者だったが、運動が好きで、土日には、ラグビー、バスケットなどを楽しんでいた。
87歳の時、日本体育協会からエベレストに登頂した三浦雄一郎氏と共に表彰された。その時もバスケットの現役のコーチをしていたから70年間現役をしていたことになる。
私の父、従兄弟の2人、兄や弟など家系は医者ばかりだが、皆は大学病院などに勤めていて、開業医は私しかいない。だから、私はなにやら中途半端な気がしないでもない。いずれにしても医者はいろんな仕事ができる本当に面白い仕事だと思う。
弁護士だった日笠豊
日笠豊は2人いる。弁護士の豊だ。祖父の弁護士について話してみたい。
祖父は岡山県和気郡熊山町に生まれた。極貧の自作農で、農作業をして子守の世話もしていた。学校は尋常小学校しか出ていない。貧しいので、鶏肉ではなく、鶏ガラのスープを飲むのがご馳走だった。3歳の弟は生まれつき目が見えなかった。子守をしながら泣き止まない時には、山から鬼が下りてくるというと、泣き止んだという。その弟はまもなく亡くなったが、80歳になっても可哀そうなことをしたと祖父は悔やんでいた。
明治20年頃、東京に出ようと決心した。仕事の合間に薪を拾い集めてそれを売り、東京への旅費を貯めた。そして日大の法学部の前進である日本法律学校に入学した。尋常小学校で入学できるのは、そこしかなかったからだ。弁護士の書生をしながら1年間通ったが、学費が尽きてしまったので退学となった。
蛍雪時代
本を読むにも燈明のお金もないので、朝4時に起き、文字通り夜明けの薄暗いなかで法律書を読んだ。寒いから布団のなかで読んだ。当時、森鴎外が馬車で街を走っているのを見かけたという。
こういった努力の甲斐があって2度目の試験で弁護士になった。その後東京で弁護士をしてから郷里の岡山に近い神戸で開業した。当時、乾汽船の顧問弁護士していた。
祖父の葬儀
祖父は70歳から新しい仕事を引き受けずに顧問だけの仕事をしていた。
葬儀が始まると新聞で葬儀を知った人が辻々から現れ、1,200人ほどの人数になった。祖父は貧しい家庭に育ったから本当に人に対してのやさしさがあったのだろう。しばらくすると、パトカーに先導されて当時の宮崎市長が焼香に来てくれた。宮崎市長のお父さんは弁護士だと聞いている。
もし法服の祖父の写真が手に入らなければ、弁護士会館に兵庫県弁護士会長をしていた祖父の写真があるから事情を話してそれを写真に撮ろうと思っていた。
- 第333回「ヒカサかヒガサか?」
- 2025年05月01日
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