第8回「温服(おんぷく)」
「先生、ぜひ実験して証明してくださいよ。」と漢方メーカーの社長は口をひらいた。
「厚生省にいったらこの効能書きはなんだといわれたんですよ。漢方で温服が重要なのは先生もよく解かっているでしょ。力になってください。」という。
温服とは熱いままで煎じ薬を飲むことだ。漢方薬は大抵熱いままで飲むが、冷まして飲む場合もある。
風邪の時は必ず熱いままで煎じ薬を飲む。漢方では風邪の治療には発汗が非常に重要と考えている。マ麻オウ黄、ケイ桂シ枝、カッ葛コン根といった漢方薬はすべて発汗作用を持ち風邪薬の中に含まれる。葛根湯という有名な風邪薬があるが、これも発汗を目安にして薬を服用する。発汗が少なければ、葛根湯の飲む量を増やして発汗をうながしていく。
最近の漢方薬は煎じ薬ではなく、煎じ薬の水分を蒸発させて粉薬にしたものがほとんどだから温服の重要性を知る人が少なくなった。だが、もし葛根湯の煎じ薬を冷たく冷やして飲んだら発汗しにくく、風邪薬としての効果も落ちてしまう。つまり発汗作用のある生薬を熱いお湯、つまり煎じた湯と一緒に飲むことで発汗を促す。お湯の温める作用をうまく利用しているわけだ。
科学的証明の難しさ
社長の会社では葛根湯の粉薬を一般薬として販売している。その効能書きに「熱い湯で飲むように」と書いておいたところ厚生省でお叱りをうけたという。たしかに西洋医学しか知らない人から見れば、なぜお湯で飲まなければならないか疑問に思う。でも漢方メーカーの社長にすれば、それに腹が立つ。
「そんなこと言われても私は開業医ですし、大学で教えているのは漢方の薬理ですから。だいいち時間がないんですよ。どこかの大学の講座に頼んでみたら。お金はかかりますが。引き受けてくれそうな大学の先生を紹介しましょうか。」と私は返事をした。
「そ、そこをなんとか。先生自身でやってください。」と言う。
この社長、私と特に親しいわけでもないのに強引だ。金を使うのも嫌らしい。しつこく私に実験しろという。私も温服の重要性は十分に理解しているが。とりあえず「考えておきます」といって社長に帰ってもらった。
実験をして論文を書くというのは簡単なことでない。過去の関連する論文を探す。それを元にどんな実験をするかを構想する。次に実験をしながら必要な実験を追加したり、理論に穴がないか論文を調べたりする。そして結果をまとめ結論を書く。大学の先生は論文を書いて出世していくが、開業医の私に論文は必要ない。学位ももっているし何十編かの論文も書いたことがある。その大変さも知っているので、引き受けたくなかった。しかし、調べてみると以外にも食べ物と体温の関係を示す論文はほとんどないことがわかった。だから実験してみるか、という気持になった。
体温を測定する上で一番問題になるのは汗だ。体温を測るにも汗をかいてしまえば正確な体温が測れない。直腸温が一番正確だが肛門に体温計を突っ込んで熱いお湯を飲むというのは、考えただけでおかしい。こんな実験を組んだところで誰も協力してくれないだろう。いろいろ考えていい方法を思いついた。鼓膜の温度を測るのだ。そう、耳ではかる体温計だ。これは鼓膜の輻射熱を測るものだから汗の影響を受けない。これを使って冷たい水、熱いお湯、そして天ぷらソバを食べた時の体温の変化を測定した。なぜ天ぷらソバを食べた時も測定するのか。じつはその昔、うどん屋風邪薬といって、うどん屋に葛根湯がおいてあった。風邪を引いている客は、うどんを食べて体が温もったところで葛根湯を飲む。すると汗がよく出て風邪が治る。そんな習慣があったのだ。うどんで体温が上がるか興味のあるところだ。でもうどんではなくてなぜ天ぷらソバなのか。それは私個人的好みに他ならない。
実験をして大変おもしろいことがわかった。てんぷらソバのような熱いものを食べると一度も体温が上がる。そして発汗がおこり体温は正常にもどる。反対に200mlの冷たい水をいっきに飲むと体温が0.7度ほど下がる。この体温の低下は15~20分してももどらない。熱いものを食べたときの体温の上昇は発汗で戻るが、冷たい物による体温の低下のほうがもどりにくい。温服に関する論文はなかったので、この結果は論文にまとめて東洋医学会雑誌に発表した。
体温の上昇という点からいうと、風邪を治すのに必ずしも漢方薬は必要でない。足湯といった温めて汗をだして風邪を治す方法は外国でも広くおこなわれている。汗を出す治療法を漢方ではげひょう解表というのだが、うまく発汗できればそれだけで風邪がなおってしまうこともある。ただし漢方の風邪薬を飲むのだったら冷たい水では飲んでほしくない。熱いお湯でエキス漢方薬を飲むのは難しいからせめてぬるま湯以上の温度の湯で飲もう。さらにお粥やうどんなどで体温をあためて飲めば効果が一層増すことになる。
余談だが、私の興味を温服以上に引いたのは冷たい水による低体温のほうだ。一度低体温になるともどりにくく、体がなかなか温もらない。これが最近とくに多い冷え性の原因に思える。
私の経験
論文を書いてしばらくしてからある看護学校から手紙をもらった。読んでみると私の書いた論文を引用したいという。看護で体温を測定する場合、食事の直後は好ましくないという部分への引用だった。これほど体温が変化するのだから正確な体温測定には、当然こういった点に配慮する必要がある。
- 第8回「温服(おんぷく)」
- 1996年07月22日
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