第9回「アグラがかけない」
「急な話なのだけど相撲を見にいきませんか。」という電話が知人からかかってきた。「いつですか」と聞くと、「明日だけれど、とてもいい席なんです。是非行ってください」という。多分予定していた人が急に行けなくなったのだろう。明日はテレビ局にお勤めのご夫婦とゴルフをする約束をしている。ゴルフにも行きたいが、相撲は一度もいったことがない。席も通称砂かぶりという土俵にすごく近い場所らしい。そこで約束していたご夫婦宅に電話すると、奥様が出てきて「いいお話ね、行ってらっしゃい。」といってくれた。そこでゴルフをキャンセルし、家内と二人で相撲見物に出かけた。席は控えの行司のすぐ後ろ。こんないい席に座らせてもらっていいのだろうかと思いつつアグラをかいて座った。
しばらく相撲に見入っていたが、アグラをかくのが大変辛い。背中をのばすと、後ろに転がりそうになる。前かがみになると苦しくて膝に手をおいてしまう。おかしいな、こんなはずじゃなかった。いろいろ考えてみると長い間アグラなどかいたことがない。ふだんはほとんど椅子の生活で、畳に座るときも必ず座椅子などの背もたれがある。だからアグラをかかないうちにアグラが出来なくなったらしい。
たしか真向法の本だったと思うが、日本人の座り方が変化してきたと書いてあった。昔は楽座という座りかたをしていた。楽座とは両足裏をひっつけて座る座り方。お雛様の内裏雛はこの座り方だ。股関節が柔らかでないとこの座り方はできない。次に難しいのがアグラ、そして正座の順に易しくなる。文明が進むにつれて楽な座りかたになったのは、運動しなくなって股関節が固くなってきたからだという。たしかにふだんから運動してアグラや楽座を続けていれば歳をとってもできるだろう。
膝さえ悪くなければ、いまのところ日本人は誰にでも正座ができる。ところが生まれた時から椅子の暮らしをしている外国人はに正座さえ難しい。外国人の年寄りを大勢連れて温泉にいった人の話によると、風呂場の低い椅子に座わらせようとしたが、ほとんどの人が座れなかったという。椅子生活になれているため膝関節を深く曲げることができないのだ。
四〇代半ばの私がアグラがかけないなんてとショックを受けた。私も外国人さんになってしまったのか。そんなことを思いながら、アグラをかけずに困っている人はいないかと土俵だまりを見渡した。するとほとんどが高齢の人たちで、正座もアグラも平気だ。戦後育ちの私は小さいころは畳に座る生活をしていたが、中学ころから椅子生活に変わった。年寄りは正座やアグラに慣れていて、椅子の上で正座するお婆さんもいる。
背中が曲がると病気がおきる
正座やアグラが体によいかどうかはわからないが、股関節が固くなると健康を害することはまちがいない。股関節が固くなると足の後ろのスジが伸びなくなる。起立して膝を伸ばしたまま腰を曲げて手が地面につくかどうかやってみる。体の固い人は手が地面につかない。そういう人は股関節が曲がらないので背中を曲げる。つまり猫背になる。猫背になると内臓が圧迫されて病気が起こりやすくなる。スタミナもなくなる。また股関節を横に開く動作、いわゆる股割りができなくなると、腰痛、肩凝り、五十肩などが起こってくる。
歳をとると体が固くなるからますます背中が丸くなる。老人に腰痛や肩凝りが多く治りにくいのは、筋肉が固くなって、いったん起こった体の歪みが治りにくいためだ。若い人におこった腰痛や肩凝りは特に体が固くないかぎり長く続くことはない。
年寄りの人を見ていて面白いのは、背筋のまっすぐな人は元気で長生きなことだ。高齢で背筋が伸びている人は、例外なく相当な努力をしていると考えてよい。そうでなければ必ず背中が曲がる。見えないところで体操、腹筋運動などで絶え間なく努力しているはずだ。
何歳から体が固くなるか
何歳から体が固くなるのだろうか。それは老眼が始まるときだ。老眼は御存知のように目の筋肉の衰えから目の焦点が合わなくなる老化現象だ。目の筋肉が固くなってくるときは、体全体の筋肉も固くなるだろうと想像できる。多くの人は四〇代半ばからだろう。そのころになると寝腰といって、朝起きたときになんともいえない腰のだるさを経験するようになる。そんな体の変化を感じてから運動やストレッチをして体を固くならないように保つとよい。特に股関節をやわらかく保つために股割り、前屈などをして体の柔らかさを保つようにしたい。若くて体が柔らかいときにストレッチなどの運動をしても、有難みがわからないから運動をやめてしまうことが多い。困りだしてからストレッチを始めるほうが長続きするし有難みもわかるように思う。
寝たきり老人にならないために
寝たきりになる大きな原因は脳卒中と関節の病気。特に膝とか股関節を悪くすると寝たきりになる。関節をまもるためにストレッチすれば、少なくとも寝たきりになる可能性をかなり減らせるはずだ。
私の経験
相撲観戦を終えて家に帰ってテレビで相撲ダイジェストを見ると、控えの行司の後ろから首を伸ばして相撲を観戦する自分の姿が見えた。せめてアグラがかけるように股関節をやわらかくしようと思った。お相撲さんは誰でも180度の股割りができるのだから。
- 第9回「アグラがかけない」
- 1996年08月22日
こちらの記事もあわせてどうぞ
香杏舎ノート の記事一覧へ
患者さまお一人お一人にゆっくり向き合えるように、「完全予約制」で診察を行っております。
診察をご希望の方はお電話でご予約ください。
- 読み物 -
- ●2024.10.10
- 第313回「膵臓がん患者のその後」
- ●2024.10.01
- 112.私は自分が病気になった時、自分の薬を飲みたい
- ●2024.09.25
- 第312回「私のクリニックでは従業員が互いに施術をする」
- ●2024.09.20
- 第311回「ノブレスオブリージュとは」
- ●2024.09.10
- 第64話「未知の不安」
※ページを更新する度に表示記事が変わります。