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香杏舎ノート

第114回「低髄液圧症候群(脳脊髄液減少症)」

豆腐は柔らかい。だからそのままでは運ぶことはできない。まずは固い容器を用意して水を満たし、その中に豆腐を入れる。固い容器が衝撃から豆腐を守り、水が振動による豆腐の潰れを防止する。スーパーで豆腐を買うとプラスチックの容器の中で豆腐が水に浮かんでいるのはこんな理由からだ。

脳も豆腐のように柔らかい。だから衝撃によって壊れないように頭蓋骨という固い骨の中に収まっている。さらに豆腐のように水の中に浮いた状態になっている。この水のような液体を髄液という。髄液は薄いビニールのような膜(髄膜)の中に入っていて、それが脳を包んでいる。じつは脳のみならず脊髄もこの液の中に入っている。
つまり脳と脊髄は外側を骨で囲まれ、その中で髄膜に包まれ、髄液の中で浮いた状態になっている。

この髄液が漏れ出すことがある。髄液を検査する必要がある場合、針を背骨と背骨の間に刺し、髄膜に穴を開けて髄液を採取する。穴が開くわけだから多少の髄液は漏れ出す。また髄液を採取するから髄液が少なくなる。あまりに髄液を取りすぎると頭痛といった症状がおこるが、針を刺した穴は自然に塞がり、髄液はまたすぐに作られる。だから長期にわたって症状が続くことはない。

低髄液圧症候群

検査機器の発達によって自然に髄膜に穴があき、髄液が漏れ出している症例があることがわかってきた。これを低髄液圧症候群と呼んでいる。穴が開くと頭痛、めまいなどの症状が出現する。

ある日、低髄液圧症候群の患者さんから電話がかかってきた。この病気で悩んでいるのだが、漢方で治せないかという。私は「この病気の存在が言われだしたのは最近のことで、今までに一度も治療経験がない。やってみないと治るかどうかはわからない」と言った。その言葉を聞いて電話をかけてきた患者さんは受診を断念した。

低髄液圧症候群という病気が規定されたのは最近のことで、(病気そのものは昔からあったのかもしれないが)そういう病名で患者さんを診察し、治療した経験がなかった。だから低髄液圧症候群を治せるかと聞かれると、わからないとしか答えようがない。この病気のことがセンセーショナルにテレビで報道されてからこの診断名の患者さんも急に増えてきたようだ。ただ、低髄液圧症候群という病気について考えれば考えるほど不思議に思う。髄膜が簡単に外力で破れることがあるのかということだ。確かに髄膜を貫いて神経が出ていたりするから破れ易い場所はある。だが引きちぎられて穴の空くような外力がかかりうるのだろうか。さらに、もし破れても自然に修復されないのだろうか。以前、病院で髄液検査をしていた。そのときは髄膜に針を刺しても頭痛などの症状が起こる人は少なく、また起こったとしても安静にしておれば治った。髄液採取で慢性的な頭痛になった患者さんは一人もいなかった。だから、引きちぎれて穴が開き、持続的に髄液が漏れ出すと言われても、そうなのかなと思う。だが検査すれば確かに破れて髄液が減っているのだから診断に間違いはない。西洋医学ではブラッドパッチ、つまり自分の血液を破れている髄膜の穴の外側に注入してやる。すると血液が凝固して穴を塞ぐのだという。

ある日、低髄液圧症候群の患者さんが突然やってきた。その人は電話をかけてきた人とは別人だった。話を聞くとブラッドパッチまでしたが、頭痛がまったく治らないという。診察しながら「穴をふさぐ漢方薬ってあるのか」と私は考えた。物理的に穴の空いたものを治す漢方薬と考えても急には思いつかない。傷口が早く治る漢方薬はある。だからそれを投与しようと思った。「でも待てよ、もしかしたら私はこういう症例を、病名を知らずに治していたのかもしれない」と思った。例えば今まで治してきた首のムチ打ち損傷の患者さんなどは、ひょっとすると低髄液圧症候群の患者さんかもしれなかった。そこで、患者さんに「この病気を治した経験はない」と説明した上で、自作したムチ打ち用の漢方薬を症状に合わせて使用した。2週間目には症状は劇的に改善し、4週間で治ってしまった。この患者さんの場合は薬が上手く効いてくれたのだが、誰にでも効いてくれるかは分からない。漢方の本には低髄液圧症候群という病気で治療法が書かれているわけではないので、そこのところが難しい。日々工夫が必要なのだと思う。

私の感想

たくさんの患者さんを診てみないと低髄液圧症候群が漢方で治るかどうかは分からない。よく治る漢方を自分で考えだして多くの人が治っても一部の人には効かなかったりもする。漢方専門の医院を訪ねてくる人は、西洋医学では説明のつかない症状を持っていたり、西洋医学では治らない病気だったりする。だから治療はいつも簡単ではない。ただし、難しい病気でも一人でも治すことができれば、治療の糸口が見えてくることが多い。

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