第27話「塾には行かせず遊びに連れ回ったが弁護士になった」
「昔から知り合いの医者が遊びに来た。そいつは子供の頃は大変な悪ガキで、爺さんの飼っていた黒猫を汲み取り便所に掘り込んだような奴だ。」
「それで猫はどうなったのですか?」
「糞便にまみれながら便器から飛び出し、糞尿をまき散らしながら座敷を横切って庭に逃げた。始末は勤務していた書生がした。」
「書生というのは?」
「爺さんが弁護士だったので、そこに勤めていた男性の職員だ。あまり悪ガキなので、頭に来た書生はそいつを捕まえて庭に連れ出し、水を一杯貯めてある水瓶に頭からほり込んだ。」
「従業員がそこまで腹を立てるなんてよほどですね。」
「結婚して子供ができてもイタズラは止まることがなかった。
クラッカーというパーティで使うパーンと音のするのがあるだろう。あれの紐を延長して娘の部屋のドアノブに引っ掛けてドアが開くと音がするように仕掛けた。そして娘が驚くのを面白がった。」
「最低のオヤジですね。」
塾には行かせないと宣言
「娘さんはお受験をして12年続くお嬢さん学校に入った。娘さんが小学校3年生になると娘さんに向かって、『お父さんは今まで勉強ばかりしてきたので遊ぶ時間がなかった。だからお前の勉強には付き合うつもりはない。お父さんは勝手に遊ぶからもし参加したいのなら自分で自分の勉強をしてから参加して欲しい。塾に行くのは時間の無駄だから行かなくてもいい。』と宣言した。」
「そんなに勉強ばかりしていたのですか?」
「とんでもない。医学生の時はバイトをして買ったボロボロの軽四で、一人で旅に出ていたし、バイクの後ろに女の子を乗せて遠出もしていた。」
「何故、塾に行かせないことにしたのですか?」
「塾に行かせると、送り迎えに時間を取られるし、金もかかる。夏休みに集中講義などもあり、遊びたい時に時間を取られるのが嫌だったらしい。
まず、そいつはスキーを楽しもうとニセコに行きはじめた。3年ほど続けて行った後、今度は冬休みには必ず沖縄に行くようになった。奴は開業医なので、長期の休みは、冬休み、ゴールデンウィーク、夏休みしかない。ゴールデンウィークはリゾートホテルに毎年行くことが決まり、夏休も定宿のリゾートホテルとそれとは別に旅行に行くことが慣例になった。」
「無論、娘さんを連れてですよね。」
「そうだ。そいつはゴルフが趣味だから娘さんを連れてラウンドしたかった。だから知り合いのツアープロにレッスンを受けさせ、小学生の高学年からゴルフ場に連れて行くようになった。中学1年生の時はマウイ島のワイレアゴルフクラブ、その後、宮古島の東急リゾートのゴルフ場、広島県のゴルフ場にも連れて行くようになった。無論、地元のゴルフ場にも夏休みや春休みは留守番させるわけにもいかないので、連れて行った。」
「忙しいそうですね。勉強のほうは何もしなかったのですか?家で勉強を見てあげるとか?」
「何もしなかった。ただ、小学校3年の時に情報の整理の仕方と記憶術を教えた。しかも金を取ってだ。」
「自分の娘から金を取ってですか?」
「そうらしい。ノートの取り方などの費用は五百円だったが、記憶術は五千円だった。」
「記憶術など役に立つのですか?」
「よく知らないが、記憶術は夏休みに1ヶ月間、毎日15分ほど練習させたらしい。」
「それで成績は良くなったのですか?」
「いや、すぐには効果が出なかった。もともと娘さんは真面目な性格だから一生懸命言われた方法で努力していたが、少しばかり成績が上がっただけだった。」
「そもそも勉強する時間がないですよね。」
「そうだ。娘さんは車の中や飛行機の中、旅行先のホテルの鏡台の前などで必死に勉強していたが、勉強する時間はあまりなかったようだ。
そいつはわがままで、自分の遊びの計画が邪魔されるのを極端に嫌った。ある時、グアムに遊びに行く予定を立てていたが娘さんが中耳炎になった。耳鼻科の医者は気圧が変わるので飛行機に乗るのを反対したが、医者がついて行くから大丈夫だと旅行を強行した。」
「大丈夫だったのですか?」
「行った途端に治ってしまった。しかし、毎回、そう上手くはいかない。ある年末、そいつのオヤジ、その人も医者だが、危篤の状態で病院に入院していた。そいつの兄が副院長をしている病院にだ。旅行の前日に見舞いに行くと、呼吸も安定していると判断して旅行に出かけたら、その晩に亡くなってしまった。」
「とんでもない奴ですね。」
「確かにそうだが、そいつに言わせると、何もできない状態でただ待っているのは時間の無駄でしかないという。」
医者の開業時間
「そんな遊び人の医者は真面目に働いていたのですか?」
「そいつの医院に遊びに行ったことがある。診療時間は週3日が昼まで、残り2日は3時半、木、日が休みで週に19時間働いていた。普通の人の労働時間の半分以下だ。」
「とんでもない怠け者ですね。」
「そいつに言わせると開業医は患者さんを待つ仕事なので、本当に治療が必要な人は時間に合わせて来てくれる。混雑するほど流行っていないのに長く診療するのは意味がないという。
見かねた兄が『すごく流行っている医者がいるので、見学に行こう。』と言って連れ出した。見学先は大きな医院で、院長は朝の8時から胃カメラなどの検査をし、夜の8時まで忙しく働いていた。患者さんは1日150人ほどで、点滴をするベッドが10台も並んでいて、マッサージをする部屋まである。
兄が見学に行った感想を聞くと『ここは労働刑務所だ。自分から労働刑務所に入りたくない。」と言って兄を驚かせた。」
「筋金入りですね。」
「娘さんが中学に入ると部活をしなければならない。テニス部に入れたいと思ったのだが、学校の部活では朝練とか夏休みに合宿があって面倒だということで、学校外で週に一度のテニススクールに通わせた。学校の部活は娘さんが望んでいた写真部に入った。娘さんの成績だが、中学が終わる頃から急に伸び出して高校生の時に1番になった。」
「やっと成果が出てきたのですね。5年もかかってますね。」
「なんせ勉強時間が短いだろ。
そうそう面白いことを言っていたな。高一の夏休みは娘さんをよく遊びに連れ出していたという。火曜日にゴルフレッスン、木曜日にラウンド、土曜日にテニススクール、それに外食と海外旅行などが重なった。夏の終わりにそいつがリビングのソファに寝転んでいると娘さんがやってきて、正座をして両手を床についた。そして『お父さん、もう十分遊びました。これ以上遊ぶと勉強ができません。勘弁して下さい。』と懇願したのだという。」
「嘘でしょ。」
「いや、娘さんも遊びに連れまわされたので、困り果てて頼んだことがあると言っていたので、本当の話だ。
頼まれてからはゴルフの遊びには連れ出さなくなった。それからお嬢さんは高校3年間トップの座を守り、首席で学校を卒業して推薦で上智大学の法学部に入った。娘さんはお父さんに医者になろうかと相談に行ったことがあると言っていたが、父親から断られたという。
そいつは開業の跡を継がせる時に娘に色々と言われることを恐れたらしい。」
「自分勝手ですね。」
「丁度その頃、そいつと親しくしていた弁護士夫婦と娘さんが会う機会があり、弁護士に憧れるようになった。」
「でも弁護士になるのは大変ですよね。」
3年で大学を卒業
「娘さんは親父の遊びには参加しつつも勉強も頑張り、大学では毎年成績優秀者として表彰され、3回生の時に上智大学を卒業した。しかも成績は4回生を抑えて1番だった。」
「飛び級で卒業させてくれる学校ってあるのですか?」
「ほとんどない。大学院に進学することを条件に卒業させるところもあるが、卒業証書をくれないので、大学院を中退すると高卒になってしまう。その後、お嬢さんは推薦で中央大学法科大学院に進み、2回生の時に学費半額免除の特待生になり、卒業して弁護士になった。」
「突然、勉強ができるようになったのですね。」
「そいつは自分の教えた勉強方法がすごかったからだと信じていて、自分もその方法で医学部を学費半額免除の特待生として卒業できたと信じている。元々そいつは勉強ができずに浪人もして医学部に入ったが、医学部に入ってから勉強方法を思いついたのだという。この勉強方法は面白いから本にしたいと俺のところに相談に来た。」
「俺は無理だと言ってやった。その方法論は確かに役に立ったのだろう。だが、娘さんが極めて真面目だということも大きかったのではないか。
若い女弁護士がゴルフやテニスが上手くて少林寺拳法もやり、親父につれられてとはいえ、マウイ島でゴルフをしたり、ニセコでスキーをしたりしている話を聞いても誰も喜ばないだろう。君の家は特殊で弟さんも従兄弟さんや叔父さんも医者だ。サラリーマンは一人もいなくて少数の従兄弟が会社経営だろ。その方法論は世間に問うことはできない。
本になるとしたら、貧しい家庭の娘に父親が自分の開発した勉強方法を教えて娘さんが新聞配達やコンビニでバイトをしながら弁護士になったという話なら受けるだろうと言ってやった。」
「確かに無理だなとそいつは諦めて帰っていった。」
「なるほどね。でもその方法論は聞いてみたい気がします。」
「多分、誰にも言うことはないだろう。俺が面白いと思うのは塾に行き倒して弁護士や医者になって、それで頭がいいと世間では評価されていることだ。
塾に行くのは金を払ってズルをすることを教えてもらうことで、そいつが娘さんに教えた知識とつき合う技術ではない。塾で育った奴は大学を卒業しても塾で教えてもらったようなうまい方法がないかと本屋でノウハウ本を買い漁る。だが、そんなものあるはずもない。俺は遊ぶことで自分を客観的に見つめることができて、返って頭が良くなることもあるのではないかと思う。」
- 第27話「塾には行かせず遊びに連れ回ったが弁護士になった」
- 2016年12月10日
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