第75回「情報検閲」
私は日本の政財界に隠然とした力を持つ人物に会うために上京した。何らかの頼み事をするために会いにいったのではない。そういう影のフィクサーというのはどんな人物なのか見てみたかった。そこで、フィクサーに会にいく人に同行したのだ。紹介された人物は平凡な風貌で、とてもそういう立場にあるとは思えなかった。フィクサーは私達を食事にさそってくれた。ホテルのロビーを歩いていると、フィクサーは中年男性に呼びとめられて立ち話をはじめた。
しばらく立ち話をした後、私達の所へもどってきた。「今の人は日本のマスコミを仕切っている男だ。マスコミに流される情報は、すべて彼が主催する会議で決められる。
テレビや新聞に情報を流すかどうかもすべてそこが決める」と言う。もし彼がいうことが本当ならマスコミに流される情報は事前にすべて検閲されているということだ。大変なことだと思った。
家に帰ってからもそのことが気になってしょうがない。事実ならマスコミの情報はよほど慎重に見ていかなければならない。もちろん私はマスコミを頭から信用してはいけないことを知っている。たとえば中国の文化大革命の時、日本の新聞はこれを大変に評価していた。だが、その当時から海外のマスコミは権力闘争であると報道していた。時々、日本の新聞はとんでもなく大きな間違いをする。おまけにどの新聞も同じ方向に走ってしまい、誰もが異論をとなえることない。そういう欠点があることは私もよく知ってはいた。
日本のマスコミが同じ方向に走るのには理由がある。それは記者クラブのせいだ。記者クラブには大手の新聞社しか入れない。排他的なクラブで、首相の記者会見さえ記者クラブの許可なしには開けない。つまり記者クラブが情報を独占している。こういう団体に加入している記者は楽だ。競争しなくとも情報が入る。特落ち(特落ちとは特ダネを一社だけが書き落としてしまうこと)の危険もない。内輪で情報をやり取りするから情報が似てしまう。こういう制度のおかげで日本のマスコミは同じ方向に走りやすい。だが、そこで検閲までされているかどうかは分からない。
いづれにせよ「検閲されているのではないか」と、そんな気持でテレビや新聞をみていると面白い。どこの新聞の紙面も文化面や家庭欄を除くと驚くほど似ている。テレビでニュースを見ても、報道の言い回しまで一緒だ。独自に取材し、独自に番組を作ればこれほどまでニュースの報道が似るはずはない。コメンテーターや論説者のコメントは違うことが多いのだが、おおもとの報道は酷似している。
もし検閲されているならそれを知るにはどうしたらいいのだろう。それは検閲される前の生の情報をていねいに集めてマスコミの報道と比較すればよい。そうすれば生の情報に対して意識的な削除がなされているかどうか判断することができる。
では生の情報をどうして手に入れたらいいのだろう。検閲が行われているとすれば、大手の新聞もテレビも信用できない。そこで私が見いだした方法は海外のマスコミの日本に関する記事をていねいに読んでいくということだった。こういうことを何年も続けるうちに、幾つかのことを学んだ。第一に外国の有名雑誌でも日本語に翻訳されているものは役に立たない。英語で、しかも日本に関する記事のおおいメディアがよい。2つめに日本の記者は勉強しないで、しかも感情的な記事を書いていることが多い。さらにこれが一番重要なことなのだが、日本のマスコミは都合の悪い情報を確かに流さないことが、確かにあるということだ。マスコミ、政府、財界はお互いに非難するような記事を書いて気まずい雰囲気になりたくないという気持が強いためだろう。
情報というとスパイの話のような響きがある。だが情報は平凡な市民にも重要だ。こんな話をしよう。何年か前、知り合いのお嬢さんが結婚を機会にマンションを買うという。空前の低金利だから今、買うのがいいという。日本の報道では銀行の不良債券処理もめどがつき、来年は1%の成長が見込めるという。ところが海外のマスコミは日本は本格的なデフレに入っていて、銀行の不良債券も政府の発表のような小さな金額ではなく、大変な金額だという。もしそうなら長期のローンなど組んでマンションを買う時期ではない。そこで「しばらく様子をみた方がいい」とアドバイスした。だがそのお嬢さんはマンションを購入した。買ってから半年もしないうちに同じマンションの空いた部屋は500万円引きで売り出され、もっと足場のいい場所にマンションが幾つも建てられて安く売り出されたのだ。日本で生活に必要な情報を得るためには、どうしてもマスメディア以外の情報が必要となる。私は新聞を2つ読み、海外の雑誌を毎週1冊、そして個人が発行するレポート(毎週 A4の紙に書かれたレポートが送られてくるだけで年間10万円もする)を読んでいる。そうでもしないと日本では正確な情報が得られないのだ。
私の感想
日本のマスメディアの情報しか知らない人と政治や経済の議論をしても議論がまったくかみ合わない。情報を制限されているのは怖しいことだと思う。日本のメディアのある部分は大本営発表の時代とそれほど変わっていないのかもしれない。この後、漢方という伝承医学の中で正しい情報や知識を得るにはどうしたらいいかと言うことを書きたかったのだが、紙面が尽きてしまった。次の機会にしたい。
- 第75回「情報検閲」
- 2002年02月23日
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