第68回「静かな疲労」
上段の構え
私は道場の真ん中で木刀を上段にふりかぶったままじっとしていた。合気道に入門したのはケンカに強くなりたいためではない。その当時、私は気功の研究をしていた。気というのがどんなものなのか、どんな生理作用をもっているのか知りたかった。だから気功教室にかよったり、密教の研究をしたりしていた。そんなとき「合気道で気を体感できる」、そういうふうに知人から聞いて入門したのだ。気功といえば病気を治療するイメージがあるが、武道でも気功を使う。これを剛気功という。気をうまく使えば自分の力を何倍にもすることができるらしい。入門したばかりの私は言われるままに木刀を上段に構えていた。合気道の師範の説明によると、木刀を上段に構えてじっと動かないでいるのは大変な苦痛だが、木刀を握る自分の手から自分の気が木刀を通して無限に伸びているとイメージすることで、同じ姿勢を続けることができるという。とりあえず30分やってみようということだった。
ところが5分もすると額に油汗がにじんできた。いくら気をイメージしても楽にならない。そして10分を過ぎるころには腕が震えだして、とうとうその場にへたりこんでしまった。 あまりの不甲斐ない自分に嫌気がさして合気道をやめてしまった。もともと武道を習いたいという目的ではなかったから、気を体験するまで根気が続かなかった。
静かな疲労
それにしてもじっとしているのは疲れる。走ったり、重い物を持ったりするのも疲れるが、じっとしているのも辛い。精神的緊張から肩をこわ張らせていたり、車に長く乗っているのも相当に疲れてしまう。こういった[じっとしている静かな疲労]を[運動しての疲労]と区別して考えよう。
人間の筋肉には2種類の神経が繋がっている。一つは意識して筋肉を動かす場合に使われる神経、手を伸ばして物を掴むときなどに働く。もう一つの神経は体の筋肉に緊張を与える神経だ。立っているときは膝を伸ばし背筋を伸ばして起立している。だが筋肉に力を入れて立っているという意識はない。つまり意識せずとも働く神経だ。この2つの神経は別々に働くのでなく、同時に働いている。木刀を上段に構える時、手や腕はその場所を意識しているが、背筋を伸ばして起立している意識はない。
意識して働く筋肉の疲労はすぐにわかる。上段に構えた手や腕の筋肉は痛くなり、だるくなる。だが意識しない神経が筋肉を疲労させても筋肉が凝ったという実感がない。姿勢をつかさどる起立筋の疲労は筋肉疲労としてはあまり意識されないのだ。
静かな疲労の特徴
こういった静かな疲労の特徴をまとめてみよう。まず筋肉の痛みや張りとして感じることは少なく、体がだるいとか、なんとなく体が重いと感じるだけだ。面白いことにこの疲れはなかなか取れない。筋肉が固くなり、血流が悪くなっているためだ。
最近、運動する機会が少なくなり、こういった疲労の人が増えてきた。1日10時間以上も机の前に座ってコンピューターを操作する。電車やバスでじっと座っている。 こういう状態が何年も続くと体が固くなり、とても疲れやすくなる。以前この香杏舎ノートで「起立させておく拷問」について書いたことがある。長時間の起立は拷問に使えるほどつらいのだが、現代の生活はそういった拷問を小刻みに受けているようなものだ。一般の人は「運動することで疲れる」という意識が強すぎる。確かに荷物を持って歩いているより、座っているほうが楽だ。だがじっとしていることを強制されるのも大変な疲労であることも認識しておかねばならない。
どう治すか
静かな疲労を治すのにはどうしたらいいのだろうか。それは運動だと多くの人は考える。たしかに運動すれば血流がよくなり筋肉もほぐれてくる。理屈ではそうなのだが、長年にわたって静かな疲労が溜まっている人は疲れやすく、とても運動する元気が出ない。さらにそういう人の筋肉(特に背中や尻の筋肉)はカチカチに固くなっていて、運動すればますます筋肉が固くなってしまう。まずは筋肉を緩める必要がある。自分では緩めることができないので、マッサージや整体で緩めてもらうとよい。筋肉がゆるんでくると元気が出てくる。そして運動をしようという意欲も出てくる。治療で重要なことはまず筋肉をほぐすことなのだ。
私の経験
長年の研究や診療で私の背中の筋肉はカチカチになっていた。合気道にいったのもそのころで、とても運動できる体ではなかった。よい整体師と出会い、背中の筋肉を緩めてもらったおかげで体力を回復した。今ならもう少し木刀を長く構えていることができるような気がする。
- 第68回「静かな疲労」
- 2001年07月24日
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