第2回「過換気症候群」
病院で当直していると若い女性が救急車で運ばれてきた。呼吸困難だという。すぐに診察室のベットに寝させた。呼吸が早く、手や足が硬直して自由に動かせない。指もまっすぐに伸ばしたままで、とても苦しそうだ。だがチアノーゼ(酸素が不足して唇や爪が紫になる現象)はなく、顔色もさして悪くない。聴診器で呼吸音をきいてみたが喘息や気胸(肺が破れる病気)でもなさそうだ。やはりと思った。
次の病院への搬送があるかもしれないと待機している救急車に「うちの病院で治療します。過換気症候群だと考えます。ごくろうさまでした。」と言って帰ってもらった。
呼吸し過ぎると筋肉が硬直する
過換気とは呼吸をしすぎることによっておこる病気という意味だ。呼吸をしすぎると、どうして病気になるのだろう。呼吸によって人は酸素を体の中に取り込み、不要な炭酸ガスを吐きだす。余分な炭酸ガスはできるだけ体の外に出し、酸素をできるだけ多くとりこんだほうが体には良い。だが面白いもので、不要と思われる炭酸ガスも血液中に溶け込んで血液がアルカリ性に傾きすぎないように調節する働きをもっている。もし呼吸を短い時間に幾度も繰り返すと、必要以上の炭酸ガスが体から出ていって、体液がアルカリ性に傾く。すると筋肉が硬直する。ひどくなると手足を伸ばしたまま身動き一つできなくなる。金縛りの状態だ。こうなると患者さんはパニックにおちいって、ますます激しく息をするから、ますます硬直がひどくなるという悪循環になる。もともとの過呼吸は精神的なストレスが原因とされているので、神経科の病気と考えられている。
教科書には治療について次のように書いてある。まず患者さんによく病気を説明して心配ないことをわかってもらう。そして患者さんの口を紙袋で覆う。こうすることで患者さんは一度吐いた息を何度も吸うことになる。つまり、結果として炭酸ガスの濃い空気を吸うことになる。これによって血液中の炭酸ガスの濃度が元にもどって硬直が取れる。すると患者さんも安心して普通の呼吸ができるようになる。理屈はこうなのだが、パニックにおちいっている患者さんが冷静な耳を持っているはずもなく、適当な紙袋が手じかにあるわけでもない。紙袋で患者さんの口を覆ってみたところで、首を左右に振って拒否されることが多い。だから現実には鎮静剤の注射をうつことになる。
整体師の婆さん
知り合いの整体師の婆さんで変わった経歴の持ち主がいる。その婆さんは若いころは県立病院のレントゲン技師をしていた。レントゲンを撮影しているうちに写真に写る骨格の歪みに興味を覚えて整体師になろうと決心した。年金のもらえる歳まで勤めあげると、さっさと技師の仕事を辞めてマッサージ師の学校へ入学して資格を取った。卒業後、カイロ、オステオパシーなどの勉強会に出席して研鑽を重ねて相当な腕前になった。治療は変わっている。左右の人差し指か親指を使って体の離れた二つの圧痛点をじっとおさえる。そうしながら左右二本の指の間にある筋肉を弛めていく。治療は長いときで三時間もかかる。ときとして婆さんはうたた寝をしながら治療する。すさまじい治療だ。ある日、この婆さんの治療を受けているとき過換気症候群の話題になった。婆さんは「先生、あれは体のゆがみからおこるのよ」と言う。
過換気症候群は体の歪みから
「体の歪みから横隔膜がひきつれて呼吸がしにくくなるのが原因。背中が凝ったり、胸郭の筋肉が疲労で固くなると横隔膜が動かなくなって、深く息を吸うことができなくなるわけ。だから患者さんは息ができなくなるのではないかと、不安になって浅い息をくりかえすの。筋肉をほぐすと横隔膜がよく動くようになって治るわ。横隔膜が肋骨の下についている、そうこの辺を押せばいいの。」といって、いきなり私の胸と腹の境あたりをグーと押した。ギャーと痛みのために私は思わず声をあげた。婆さんの話を聞きながらふと何人かの過換気の患者さんのことを思いだした。いずれの患者さんもひどい肩凝りを同時に訴えていた。確かにそういう可能性もあるかもしれないと思った。
ある日、典型的な患者がやってきた。過去何度か過換気の病歴がある中年の女性だ。話を聞くと、何度も病気をしているので、「発作がいつおこるのか」が自分でわかるという。疲れて肩がこりだすと呼吸が浅くなるという。その患者さんに婆さんから教わった治療をしたら発作が治ってしまった。
面白いもので婆さんが教えてくれた「体のゆがみから呼吸が浅くなる」という観点で患者さんをみていると、緊張して息がつまるとか、肩が凝ると息苦しいなどという患者さんが沢山いることにも気づいた。だから体のゆがみが過換気の原因のすべてとは思わないけれども、病気をおこす大きな要素だと考えている。
私の経験
いつも行っている美容院の奥さんが電話をかけてきた。電車に乗っていると急にどきどきして息が苦しくなって冷汗がでた。30分ほどで症状はよくなったが、また電車に乗ったらおこるのではないかと不安だ。現在も自分の体が自分のものでないような落ち着かない感じがあるという。いわゆるパニック障害というやつだ。以前もこんな発作を起こしたときに整体の治療してもらったらよくなったという。だからパニック障害もこんな体のゆがみが原因しているのかもしれない。
- 第2回「過換気症候群」
- 1996年01月23日
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