第42話「コロナが明らかにした専門家の意義」
「日本ではワイドショーという井戸端会談のような放送がいくつも流されていて、元スポーツ選手やお笑い芸人といった素人が、経済や医療の話に平気でコメントする。
こういう番組を見ていると、専門的な知識が必要なことでも誰でも気軽に意見を言っていいという習慣ができてしまった。
今回のコロナ騒動でもひどいコメントをしている人が大勢いた。誰でもにわか勉強すれば、一応の知識を得ることができる。でも本当に必要なのは専門家の意見だ」そう言いながら夢の中の老人が現れた。
「そうですか?日本の専門家も明瞭な意見を言ってなかったように思います。感染研の立場のある人の意見も不明瞭でなかったですか?とくにPCR検査については」
「問題はRNAウイルスを検査する際に必要な酵素の備蓄が日本には少なかったのが原因だ。だからPCR検査ができなかった。
SARSが流行った時、日本は被害が少なかったので備蓄していなかった。それを彼らはごまかした。
PCR検査ができないことを棚にあげて、発熱4日経ってからでないと検査を受けられないような、つまり科学的根拠のない基準をつくってPCR検査を少なくしようとした。彼らは混乱を起こしてはいけないという政治家のような発想から我々が素人であることをいいことにごまかし続けた」
「ではどうすればいいのですか?」
「専門家であれば、正直に備蓄が少ないのを認める以外にないだろう。そこで混乱がおこるという政治的考慮は必要ない」
「そうすると政治家が非難されますよね」
「研究者である彼らはそんなことまで心配する必要はない。政治家は政治で決着をつけてもらえばいい」
「それでは政治家はどうすればいいのですか?」
「俺が総理だったら厚生労働大臣を罷免する。それしかないだろう。
PCR検査に必要な酵素を備蓄していなかったのは大臣のせいだとして決着を図る。誰かに詰め腹を切らせなければならない。
日本が面白いのは、政治家だけでなく専門家までもが、あたかも支配階級のように自分たちのことを思っていて、我々に対して「知らしむべからず、よらしむべし(知識を与えず頼らせる)という態度をとるところだ。専門家は専門家としての意見を言えばいい。
感染症専門の科学者が政治家の立場や経済学者の立場をとって、経済の落ち込みを心配する発言をする必要はない」
「それにしても今回のコロナ危機で官邸の無能ぶりも明らかになりました。それだけではなく、行政の専門家の無能ぶりも明らかになった気がします。平常時ではなく、危機のときにその人の能力が問われるのは分かるのですが、これほどまでとは思いませんでした」
側用人の伝統
「日本には側用人(そばようにん)という伝統がある。側用人とは将軍に政治の詳しいブリーフィングをして将軍の意見を聞き、将軍の判断を老中に伝える仕事をする役職のことだ。
将軍は側用人の情報を聞いて政治の決断を行う。細かい制度は側用人が通じているから自分は知る必要がないとの考え方だ。その伝統は明治時代になっても続き、最近まで引き継がれてきた。官僚は側用人の働きをして大臣は大局をみて重要な政治判断をしていくことが慣例になった。
これが行き過ぎたのが戦後に弊害となって表れた。
今から10年くらい前まで閣議の前日に各省の事務次官が集まり、会議が開かれていた。そこでは翌日の閣議で決定されることはすべて事前に決定されていて、閣議は事務次官会議の決定を追認するだけのものになった。その決議に大臣が反対しても不適切発言として議事録には載せなかった。選挙で選ばれた大臣より事務次官の方が偉い立場が続き、人事は各省の事務次官が決定して政治家に口を挟ませないことを慣例にした。その人事権を政治家に取り戻したのが安倍首相だ。首相官邸が局長以上の人事権を握った途端に官僚は専門家ではなくなり、一番やってはいけない文書改ざんまでするようになった。まあもともと専門家でもなかったのかもしれないが」
「それは政治家が悪い。そういう政治家は辞めてもらわなければなりませんね」
「その通りだ。我々は選挙で政治家を落選させることがきる。だが問題なのは側用人を辞めさせることができないことだ。選挙で選ばれていない役人に権力を持たせるわけにはいかない。民主主義の国では選挙で選ばれた政治家は官僚より高い地位にある。官僚はどんなに優秀で正義感にあふれる人でも長い間に変化してしまう可能性がある」
大所高所(たいしょこうしょ)からの判断
「面白いことに側用人の伝統で、政治家は大所高所から判断すればいいと信じてしまっている。今回のコロナ騒動はその問題点を明らかにした。
大阪の吉村知事は多くの専門家から意見を聞き、寝る間を惜しんで勉強して専門家以上に適切な判断をしてコロナの蔓延を防いだ。大臣は諮問会議での情報で判断したようだが、側用人の言うことを曖昧に伝えていただけにしか過ぎない。
大所高所からの判断は政治家に求められるものではあるが、やはり詳しい情報を多くの人から聞いて勉強しなければ適切な判断をすることができない」
「厚生労働大臣は、発熱が4日以上というのは必ずしも規定ではなく、そのことを何度も言っているのに国民が誤解したと言い逃れを言っていました」
ノーベル賞学者の大所高所からの判断
「日本では面白いことに有名人が大所高所から発言する傾向があることだ。
ノーベル賞を受賞した医学者だからといって、感染症の専門家でもないのにコロナについて発言するのは僭越と感じないのだろうか?二人とも免疫の専門家であり、感染防御の知識や経験はないはずだ。
SNSで個人的に意見を述べるのは自由だが、公共の放送で意見を求められたからといって個人的な意見を言うのはいかがなものか。専門家は現場での経験があるから意見には重みがあり、経験者ならではの知恵が含まれている。ある分野で業績があるだけで、自分の専門でもないことに大所高所からの発言になるのが面白い」
「たしかにそうかもしれません。ノーベル賞学者の一人はコロナを忍者にたとえてみせていましたから」
「日本では未知の事態が起こった時に、すべての人が大所高所からの意見を述べる。日本にはスペシャリストはいないのだろうか?
それにしても、アベノマスクを発案した側用人は恥ずかしいとは思わないのだろうか?」
- 第42話「コロナが明らかにした専門家の意義」
- 2020年06月10日
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