第18話「ゴルフ三昧の耽美な日々」
夢の中で私は老人にゴルフをするのは楽しいですかと聞いてみた。
「普通にゴルフをするのも楽しいが、俺の場合は幾つかの偶然が重なり、とても耽美な日々を過ごすことが出来た。それは、たとえばとても気の合う女性と何年も暮らした記憶のようなもので、思い返すたびに楽しい思い出がよみがえってくる。無論、今でもゴルフに行くことはできるのだが、あまりに楽しい思い出として残っているので、なまじゴルフに行くと、その記憶を傷つけてしまいそうに思える。」「そんなに楽しいゴルフができたわけですね。どんなゴルフだったのですか?」
「俺がゴルフを始めたのは1980年代の初めで、まさに高度成長期だった。その頃のゴルフは金持ちの特別な娯楽で、ゴルフコースも少なく、一般の人はなかなかコースに出ることができなかった。またゴルフを習おうにもレッスンプロもいないような状態だった。幸いなことに俺はツアープロに習うことが出来た。友人のお母さんが奈良国際の女子のクラブチャンピオンでその人を教えているツアープロを紹介してくれたからだ。習いだして半年間、プロは俺に足を閉じたままでボールを打たせた。」
「どうして足を閉じさされたのですか?」
「多分、体がスウェーするのを嫌ったからだろう。とりあえずは上半身の動きを体に染み込ませたかったからだ。コースにでられるようになると、自分のコースが欲しくなった。だがバブルに突き進んでいくその時代は300万の会員権がしばらくすると500万、700万と上がっていく時代で、とても買うことができなかった。
いろいろ調べると、仕事場から15分の所にゴルフのミニコースがあり、広大な練習場もある。そこの会員権が60万ほどで、会員になると打ちっぱなしのボールの値段も安くなる。ゴルフコースといっても大変な山岳コースで打ち下しの次は打ち上げという繰り返しで、平らなコースは2つしかなかった。しかし、仕事場からすぐに行けて9ホールを1時間半で回り、市街地の見えるお風呂に入って帰る。手軽でとても便利だった。そうするうちに普通のコースで行われるゴルフコンペに出るようになったが、全然楽しくない。特に医者の主催するコンペは最悪だった。もともと俺は医者という人種が苦手だ。」
「何やら自虐的に聞こえますが?」
「お医者さんは気遣いのできない人が多い。何故か?それはお医者さんを取り巻く環境を考えるとすぐに理解できる。お医者さんは医学知識を持っていて、患者さんには専門的な知識がない。その知識のギャップ差から医者がどんなに注意していても横柄になる可能性がある。また職場で医者は看護師、検査技師に対して指示を出す立場だ。時々訪ねてくる製薬会社のセールスマンは医者を接待してくれる。総じて医者は純粋な人が多いが、俺みたいに接待をする立場の人間からすれば横柄というより、無邪気で人に気を使う習慣がないと言っていいのかもしれない。」
「なるほど。それで。」
ミニコースが教えてくれたゴルフの楽しさ
「ゴルフは一緒に行く人によって楽しさが変わることが分かった。医者とのゴルフや会社のゴルフコンペに出席しても少しも楽しくないが、親しい友人とミニコースを2人で回るととても楽しい。そこで仕事場にゴルフセットを2つ用意して訪ねてくる友人が準備をしなくても回れる体制を整えた。
しばらくの間、ミニコースを回りながら普通のコースも回る生活が続いた。そうするうちに何故、普通のコースを回っても面白くないかが分かってきた。」
「ちゃんとしたゴルフコースより若草山みたいなコースのほうか楽しいということはないでしょう?」
「失礼なことを言うな。ミニコースのいい点は天気を見て行けることだ。ある時、友人が12月の寒い時期にラウンドしようと誘ってくれた。俺はプレーする4日前から下痢をして何も食べられない状態になっていた。そこで友人に電話して休まして欲しいといった。ところが友人は『這ってでも来い。』という。しかたなくフラフラの状態で出かけたが、生憎その日はミゾレ混じりの激しい雨が降っていて、手がかじかんでクラブも握りにくいような状態だった。
当時のゴルフクラブは金儲け主義で、4人で回る予定が一人でも欠けると、全く知らない人を平気でグループの中に入れてきた。だからみんな必死で4人のメンバーを集めて一人も欠けないように注意していた。欠けた場合に入ってくるのはそのカントリークラブのメンバーで、そういう人は大抵クラブの中でも嫌われ者だ。誰も一緒に回ってくれないから他のグループに入れてもらおうと待っている。友人はそんな輩が入らないように俺にラウンドを強制したのだ。
一般のコースは平日でも1ヶ月以上前から予約が必要で、一旦予約が決まったらどんなことがあっても休むことができないという無茶苦茶な状況になっていた。おまけにゴルフクラブはお客を沢山入れるので昼の待ち時間が2時間-2時間半ということもあった。それに比べミニコースは2人でもラウンドさせてくれた。
その当時、俺が考えた理想のゴルフクラブは、天気が分かる1週間前に予約できること、ツーサム(2人で回る)は無理にしても他の人を入れてこないこと、そしてあまり混んでいないことだ。」
「そんなコースはないでしょ。メンバーも1000人ならとても少ない方で、何千人もメンバーがいるコースも普通にありましたから。」
「いろいろ調べると俺の親父が入っているゴルフクラブが理想に近いことが分かった。コース設計はいまいちだが、メンバーは840人ほどだ。入会には厳しい条件があった。まず40歳以上、他のクラブの会員権を2つ以上持っていること、ハンディは26以下で入会前にコースをラウンドしてから理事長の面接を受ける必要がある。
40歳になるのを待って会員にしてもらおうと決めた。入会条件を満たすためにそれまで持っていたリゾートのゴルフ会員権に加えてもう一つの会員権を買い足した。理事長の面接日、父親と2人でラウンドしてから理事長に挨拶して無事メンバーになった。
ツアープロとのラウンド 楽しいゴルフの始まり
神戸市、芦屋市、西宮市の市街地は東西に細長く続いている。南は海で北に六甲山系がある。六甲山系を抜けると急に田園地帯になり、高速道路を使わなくても行ける数多くのゴルフ場が点在している。入会したゴルフ場も自宅から地道で1時間10分ほどで行ける。ゴルフ場に行くためには六甲山を貫くトンネルを抜けて行くことになる。その頃、印象に残っていることがある。私がメンバーになってすぐに大震災が起こった。震災の市街地からゴルフに行くためにトンネルを抜けたら途端に空気が変わる。市街地の重苦しい空気がスーッと無くなり、さわやかな空気になる。そんな状況は震災から5年くらい続いていた気がする。
定期的にゴルフに行くようになり、ハンディも18になった。ある時、お客さんと話をしているとその人もゴルフが好きでハンディが12だという。『一度お誘いしますので、ゴルフに行きましょう』ということになった。この木田さんが私のゴルフの先生となり、楽しいゴルフ生活に導いてくれた。」
「どんな楽しいゴルフが始まったのですか?」
「木田さんに初めて誘われた日、練習グリーンでパットの練習をしていると木田さんが2人の人物を連れて現れた。自己紹介されて2人ともツアープロであることが分かった。私はツアープロとラウンドするのは初めてだった。
吉川カントリーの1番、短いパー4で、プロは第1打を打った後、『ああ、のってしまった。』とつぶやいた。340ヤードを乗せてくるプロの技を見ながらラウンドするのはとても楽しい。プロは私がヘマをしても何も言わない。私がいい球を打つと、『グッドショット』と声をかけてくれる。どうして上手く打てないのか聞くと親切に教えてくれるが、それ以外は何も言わない。
木田さんはシャイで、金持ち特有のわがままさを持ってはいるが気づかいのできる人だ。木田さんがプロだけを連れてラウンドしている理由がすぐに分かった。あまり下手な人とはラウンドしたくないが、上手い人は威張った人が多い。おまけに色々と教えたがる。」
「確かにいますよね。ゴルフ練習場でも教えている光景をよく見かけます。ラウンド中に注意されても直りませんし、不快なだけですよね。」
「そうだろ。ゴルフがうまい奴は何かと教えたがり、しかも偉そうだ。ある時、木田さんが面白いことをいった。短いバーディパットを外すと『ああ、もったいない。』と声をかける奴がいる。もったいないとはどういうことだ。もったいないとはまだ十分使えるものを捨ててしまう時に使う言葉だ。失礼極まりない。』という。ゴルフは個人でプレーするもので、プレーしながら自分と闘っている。バーディパットを外して悔しがっているのはその本人で、それに妙な言葉をかけるのは適切ではない。
木田さんも私のヘタなプレーにも何も言わない。そうか!今までゴルフが楽しくなかったのは、そういう輩に囲まれていたからだと分かった。
木田さんは15ほどの一流ゴルフ場の会員権をもっていて、ツアープロを引きつれてそのコースを年間130日ほど転戦していた。私も月に一度その中に混ぜてもらって転戦に加わった。そうするうちに木田さんはハンディが7になり私も12になった。
テレビでは思うようには打てない
ある時、木田さんはプロではない人物を連れてきた。その人はテレビのローカル局で自分の名前の付いたゴルフ番組を持っている元アナウンサーで、当時70歳くらいだった。私は時々そのテレビを見ていて、そのアナウンサーはゴルフが下手だと思っていた。だが実際に回ってみると、とても上手だった。前半のスコアは忘れてしまったが負けた。後半は私が41でその人が43で何とか勝てた。テレビではなかなか実力が発揮できないものらしい。
ある時、大手テレビ局の支社長からチャリティゴルフコンペがあるので出場してくださいと言われた。下手だからと固辞したのだが、どうしてもと言われて出てみたが、散々な結果だった。テレビカメラが回っているだけで、とても緊張してしまう。大迫たつ子プロが解説をしているホールに来ると緊張のあまりティーショットで2連続OBしてしまい、大迫プロも『あらー』としか言わなかった。
恥ずかしい思い出は他にもある。木田さんとザ・サイプレスゴルフクラブに行ったときのことだ。この美しい林間コースはOB杭がない。ということは林に打ち込んでもボールは生きている。下手な私が林に打ち込むたびにプロが2人でボールを探してくれる。あまりに申し訳ないので、林に入ったらロストボールにして下さいと宣言した。」
「ツアープロが各地を転戦しているみたいな気分が味わえたのですね。」
化け物のような素人
「そうだ。プロのすごい技を見てきた私だが、ラウンドしていて一番迫力を感じたのは素人のSさんだ。体がデカイのだが均整がとれているために一見大きくは見えない。ゴルフに行くとドライバーショットがライナーのような弾道で280-290ヤードも飛ぶ。無論、シングルだった。Sさんのボールを真横でみるとシュルシュルと猛烈な音を立てて飛んでいくので、体に当たったら間違いなく即死だろうと思った。
Sさんは日米対抗ゴルフで青木功のキャディをしたことがある。Sさんが青木のバックを担いでラウンドしている時、青木功は一緒に回っているアーノルド・パーマーをコースの林に連れ込んでコーヒーの缶をサンドウェッジで真っ二つに切って見せ、『お前もやってみろ。』とパーマーに言った。パーマーがサンドで叩くと缶は2つに折れ曲がり、振りぬいた後もゴルフヘッドに引っかかったままだったが、缶を切ることは出来なかった。それを見ていたSさんは早速家に帰ってやってみたが、サンドエッジに弾かれた缶が遠くに飛んでいくだけだった。」
「本当ですか?青木功がバンカーの名手だということは私でも知っています。ロングアイアンで届かない距離にあるグリーンを狙うのに、わざとバンカーに入れて、そこから寄せワンで飛距離のある外国人選手と闘ったといいます。」
「ラウンドしながらSさんは刃物をもった男と闘ったことがあるという話を聞かせてくれた。刃物がSさんの胸骨に当たって止まった時、相手の肘は折れていた。なんせSさんは空手5段だからだ。」
「その人、ヤクザでしょ。体が大きくてケンカに強く、ゴルフがとても上手い・・・。」
「いや公務員だ。交通事故の処理を担当していた。ヤンチャな奴が事故をねじ込んできても彼が出ていくだけでオシッコをちびってしまうだろうな。それほど迫力があった。」
耽美なゴルフ生活の始まり
「なるほど。これが耽美なゴルフというわけですね。」
「いや。本当に楽しい話はこれからだ。バブルが崩壊していく中で楽しいゴルフ生活が送れたのだ。」
「どんなゴルフだったのですか?」
「俺がメンバーになったコースはもともとメンバーが少なかったから、バブルが崩壊してラウンドする人も減り、俺は天気をみて行けるようになった。しかし、天気が急変することもある。できるだけ雨を避けたい俺は、前日に予約するようになった。そうなると友人とは行けない。そこで妻と2人で回るようになった。スタート前に着くとツーサムなので必ず1番に出してくれる。しばらくすると後ろ4ホールぐらいは誰もいなくなる。人の気配のない大自然の中でゴルフをするのは最高の喜びだった。疲れるとティーグランドに腰を下ろして休憩する。そんな贅沢なゴルフだ。」
「いいですね。ちょっと打ち直してみることもできますしね。」
「そうだな。親切にされるとますます増長するのが俺だ。しばらくすると予約なしで出かけるようになった。」
「予約もなしですか。」
「そうだ。そのカントリークラブの規定によると予約しなくてもメンバーが10時までに入れば対応する建前になっていた。妻もメンバーだったので、厚かましく予約なしで行くようになった。その頃、カントリークラブは俺を面接した理事長が病に倒れ、お嬢さんがクラブを運営するようになった。お嬢さんはクラブをよくするより相続を考えて運営していたようだ。だからクラブに出来るだけ金をかけないようにしていた。そんなわけで客が減っていった。だが俺にとっては好都合だった。なんせ、予約なしの1番スタート、ツーサムでスルー(18ホールを続けて回ること)だから12時すぎにはラウンドを終えた。高級ゴルフクラブでもそんなことをさせてくれる所があると思うか?」
「まずないでしょうね。」
「そういうゴルフが何年も続いた。ゴルフクラブはクラブハウスのロッカーに預けてスポーツカーの屋根を開けてゴルフ場に向かう。道の両側は水田が続いていて夏は青々とした稲が風になびく。秋になれば農家の庭先の柿が赤く実っている。そういう道を車で走るのも楽しみの一つだった。」
「確かにそれはゴルファーの夢でしょうね。」
「しばらくするとそのゴルフ場は身売りすることになった。相手は大手メーカーの子会社のゴルフ運営会社だったが評判がイマイチだったので、それを機にすべてのゴルフ会員権を処分した。」
「正解ですね、そんな楽しいゴルフをしてきて普通のゴルフは出来ないですよ。」
「俺はゴルフをする人に是非言っておきたいことがある。それは他人のプレーにコメントするなということだ。それと頼まれもしないのに他人のフォームを直そうとするなということだ。それさえなければ日本のゴルフはもっと楽しくなる。それにゴルフ場も金儲けばかりを考えずに家族が楽しめるゴルフ運営を考えて欲しい。」
「それ以外にも何かありますか?」
「ゴルフをするなら幼い時に少しだけでも習っておくことを勧めたい。これは中学1年の時の娘のアプローチショットだ。ヘッドアップにもならず、右膝の送りもいい。かなり練習したように見えるが、ツアープロに練習場で5-6回習い、ラウンドは7回もしていないはずだ。ゴルフは特殊な体の使い方をするので、幼い時に少しでも習っておくと上手くなる基礎ができる。それと老後にゴルフを楽しもうと考えている人がいるかもしれないが、あまり遅くから始めない方がいい。50歳になるとシニアツアーが何故あるか分かるようになる。飛距離が落ち始め、目も悪くなるからラインが読みにくくなる。55歳になるとゴルフが好きでもその情熱は若い時の7割くらいになるだろう。でもまったく楽しみが消えてしまうわけではない。
ある時、俺は最終ホールを上がってくる親父を見つけた。息も絶え絶えに歩いてくる。キャディさんに励まされる声が聞こえてきた。82歳だった。親父の姿を見て俺はあそこまでゴルフ好きにはなれないと思った。」
「でも82歳でもプレーできるのですから。ゴルフは歳がいっても楽しめるスポーツですからいいですよね。」
「もう一人ゴルフに熱中していたのが祖父だ。写真はアメリカのゴルフ場だと聞いている。ハーバードに留学していた時のものと思うがアイアンを構えて立っている。後ろにもう一本のアイアンが置かれているから、どちらで打とうか迷った後の写真だ。立ち方からしてソコソコの腕前だったのだろう。帰国後、宝塚ゴルフクラブのメンバーになった。プレーを終えて帰る時、自家用車のビューイックが到着すると、館内で放送がかかる。そのアナウンスを聞く時、祖父は貧しかった自分が成功したと感じたという。
いずれにせよ木田さん、父や祖父はゴルフに魅せられた大馬鹿野郎たちだ。ゴルフには人を狂わせる何かがある。もしゴルフをうまく生活に取り入れれば楽しい人生を送れるのかもしれないな。」
- 第18話「ゴルフ三昧の耽美な日々」
- 2014年12月01日
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