第33話「古代ローマ帝国の統治法を真似するアメリカ」
歴史書ほど重要な書物はない
夜のメリケンパークでぼんやりと帆船を見ているとどこからともなく老人が現れて話し始めた。「俺は塩野七生という作家のファンでローマ人の物語やギリシャ人の物語などを読んできた。彼女は歴史の中にタイムスリップしてその時代を歩きながら彼女の感性で歴史を語り始める。すると登場する人物が色彩を帯びて生き生きと動き出す。それが彼女の作品の特徴だ。」
「ローマ人の物語って文庫本で30冊くらいあるやつでしょ。それを全部読んだのですか?」
「それだけじゃなく、いくつもの作品も読んでいる。彼女は80歳になり、もう作品を書かないと決めたようだ。毎月、文芸春秋のコラムも書いていたが、最後のコラムに面白いことを書いていた。彼女は本を出版すると、イタリアから日本に帰ってきて作品のファンである経済界の人々と対談するのが恒例になっている。今回もギリシャ人の物語を書き終えたので、そういった懇談が持たれたようだ。
ところがそこで彼女は失望してしまった。出席した経営者たちは、なんと彼女の作品を読んでなかったのだ。」
「失礼な話ですね。」
「それだけではない。読んでないことを恥ずかしいとも思っていないというのだ。そんな彼らも経済の本は読む。彼女はそういう現状をみて、作家家業というのは絶滅危惧種ではなく絶滅確実種だと書いていた。」
歴史書より経済書という誤り
「なるほど。経済書という実用書が好まれているわけですね。最近はノウハウ本や実用書ばかりが売れていますからね。確かに歴史書を読んでも現代に役に立つ知識は得られません。」
「経済の本よりよほど歴史書のほうが役に立つ。それが分からないほど日本のエリートたちは馬鹿になってしまったのかと、この記事を読んでがっかりしてしまった。歴史は人類の成功や失敗を綴った貴重な資料で、深く理解することで現代の事象も理解できるようになる。」
古代ローマ帝国の統治法を真似るアメリカ
「でも例えばローマ人の物語を読んでも何の役にも立たないでしょ?」
「とんでもない。
アメリカはローマ帝国の統治法を真似て世界を支配してきた。ユリウス・カエサルはガリア地方(今のドイツ、フランスや東ヨーロッパ)の蛮族を打ち負かすために戦争に出かけて占領した。だが支配した後もそこの住民たちに自治を認め、最小の兵隊だけを残して支配するという方法で領土を広げてきた。古代ローマ人は法を重んじ、反乱を起こした場合は軍隊を派遣して徹底的に町を破壊したが、約束を破らない限り自治を認めた。
アメリカは第2次世界大戦後、世界中に軍隊を置くようになった。とくに枢軸国として戦った日本、ドイツ、イタリアには5万くらいの兵隊を今でもおいているが、自治を認めている。
日本では天皇制を残し、首都である東京に近い横須賀や沖縄などに基地を置いている。その目的は日本を守るためだけではなく、日本を支配するためでもある。自治を認めることで日本人の反発を抑え、自分たちのアメリカ文化やアメリカの品物を売ることに成功した。
完全に支配するとなると多くの軍隊を駐屯させねばならぬし、暴動を抑えるのにもエネルギーを取られる。第1次世界大戦まで欧米の列強が植民地をもっていたことを考えると、アメリカの統治法との違いがよく分かる。現在でもチベットを占領した中国やクリミア半島を支配したロシアとの違いは歴然としている。」
「確かに。」
「フルブライト留学というのを聞いたことがあるかもしれない。アメリカが資金を出し、優秀な日本の青年をアメリカで教育するものだ。古代ローマでもガリアの部族長の子供をローマの有力者のもとに送り、ローマ帝国のシンパを作っていった。
古代ローマ人は戦争にいく義務を血税といい、戦争に従事した者にはローマ市民権を与えていった。アメリカでも市民権が欲しければ兵役についてアフガンなどに出かけるのが手っ取り早い方法だ。パクスアメリカーナはパクスロマーナをそっくり真似することでもたらされた。」
「なるほど。確かにそっくりですね。当時のペルシャは絶対権力を持つ王がいて、支配地域を完全に自分の領土としたのとは正反対ですね。」
何故、すべての道はローマへと続く
「ローマ人は道を整備し、cobblestoneで舗装して馬車の車輪が引っかかりやすい道にした。多くの道が整備されたので、すべての道はローマへ続くと言われるようになったが、それはローマの域内の通商を盛んにするためだけではなかった。地方での反乱が起こった時、軍隊を早急に送って鎮圧するためでもあった。地方には少数の兵隊しか置いていないためだ。
アメリカも世界各地に軍隊を置いているが、極めて少ない数でしかない。しかし、制空権と制海権を抑え、一旦有事になると空母や爆撃機を大量にしかも短時間に送り込めるシステムを作っている。すべての空路と海路はアメリカのものだ」
「なるほど。ローマ帝国と瓜二つですね。確かに国際戦略を理解する上で歴史が参考になることは分かりました。でも経済とは無関係ですね。」
「世界を支配するためには基軸通貨になる必要がある。ローマもそういう戦略を実施してきた。アメリカがそれを真似て基軸通貨としてドルを守っているのと一緒だ。
ここで現代の中国の経済の話をしよう。
中国は地方政府に多額の負債があり、今にも国が破綻してしまうという論調の経済書がたくさん出版されてきた。日本の経済エリートたちもそういう本を多く読んでいたはずだ。だが中国は決して破綻はしない。何故か?それは資本主義の国ではないからだ。
上海の株価が暴落すればしばらく取引所を閉鎖した。国の借金が増えれば増税すればいい。外国企業が逃げ出さないように法律を変えて縛ればいい。民主国家ではないから何でもできる。
古代ローマは皇帝が支配していたとはいえ、元老院もあり、ローマ法もある民主的な国だった。歴史を学んでいれば、そんなくだらない経済本を読む必要がないことが分かる。つまり古代ローマ人が自分の国の考え方でペルシャという独裁国家を考えると誤ってしまうのと同じだということだ。」
「なるほど。日本では高等教育を受けたエリートたちは何故、歴史書を読まないのでしょうか?」
「一つには受験勉強しかしていないので、すぐにノウハウ本に頼ろうとするからだろう。2つ目は優れた歴史書を書く人物がいないということがある。長い目でみた面白い歴史書を書く人は残念ながらいない。」
「日本の経済書はどうなのですか?」
「お寒いかぎりだ。経済書はやはり欧米のほうが面白い。素人の私のような人間でも読める経済書を書いてくれる人が日本にはいない。ところで君は孔子学院というのを知っているか?」
「孔子ってあの孔子ですよね。知らないです。」
「中国政府がフルブライトのように中国の文化を広げるために世界各国に孔子学院を作り、文化を広める活動をしている。」
「なるほど。」
「しかし、あまりうまくいっていないと聞いている。」
「何故なのですか?」
「民主国家ではないからだ。アメリカのような多民族の民主国家でしかできない制度だ。」
「なるほど。でも歴史を知っているからといって今後の世界を予測することはできないでしょう。歴史は過去の遺産ですから。」
アメリカが白人の国でなくなる時にアメリカは衰退する
「古代ローマ帝国の衰退にはいろんな原因があるが、ガリア出身の皇帝が現れるようになってから衰退の度合いを速めてった。古代ローマ帝国は様々な人種の人々にも気前よく市民権を与え、才能を評価して市民権を持つ人々を増やしていった。だがあまりに他民族になったため、民族的なアイデンティティが失われてしまったのが、衰退の一つの要素だ。
オバマが初めて黒人としてアメリカの大統領になったときはアメリカの歴史が変わったのだと実感した。キング牧師の望んでいた世界が実現していくようでもあった。しかし彼が大統領であった時代、アメリカの力強さが失われていったのも事実だ。自分で決断をできないオバマは空爆をすると宣言しながら議会の承認がいるといって逃げ出したりするような人物だ。
アメリカの白人の割合が7割になり、カリフォルニア州はノンホワイトの割合が5割を超えてきた。白人というだけでノンホワイトから人種差別のレッテルを張られるようになると衰退は加速していくに違いない。アメリカの覇権が落ちるにしたがって他の国が騒いでくる。中国やロシアは領土拡大に熱心だ。ロシアに怯えたスウェーデンは徴兵制を復活した。こういった状態の中で日本は軍備を拡張せざる負えない状況になっていくのだろう。」
老人の話を聞いた私はギリシャ人の物語(Ⅲ)を買い、志摩観光ホテルで楽しく読んだ。マケドニアの王アレキサンダーは大帝国を作り上げたが、支配したペルシャ人をそのまま自国の兵にしていった。確かに歴史は面白い。
ホテルのライブラリー前の廊下を歩いていると藤田嗣治の絵が目に留まった。
裸婦を見つめる動物たち。しかし、動物たちの目はすべて裸婦に向けられているのではなく、絵を見る私たちを見ている動物もいる。すべての人が歴史に目を向けているのではなく、人の興味も様々で目を向ける対象も様々なのだろう。そんなことを思った。
- 第33話「古代ローマ帝国の統治法を真似するアメリカ」
- 2018年06月10日
こちらの記事もあわせてどうぞ
夢の中の老人 の記事一覧へ
患者さまお一人お一人にゆっくり向き合えるように、「完全予約制」で診察を行っております。
診察をご希望の方はお電話でご予約ください。
- 読み物 -
- ●2024.10.10
- 第313回「膵臓がん患者のその後」
- ●2024.10.01
- 112.私は自分が病気になった時、自分の薬を飲みたい
- ●2024.09.25
- 第312回「私のクリニックでは従業員が互いに施術をする」
- ●2024.09.20
- 第311回「ノブレスオブリージュとは」
- ●2024.09.10
- 第64話「未知の不安」
※ページを更新する度に表示記事が変わります。