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香杏舎ノート

第160回「漢方で未病を治す」

未病とは、健康とまでは言えないが病気と診断されるわけでもない、健康と病気の間の状態のことを言う。もともと2千年以上前に書かれた中国の医学書である黄帝内経にある言葉だ。腕のいい医者は患者さんが未病の内に治すという。
最近、未病という考え方に興味を持つ人が増え、学会なども作られている。

具体的に未病とはどんな状態をいうのだろうか?そしてその未病をどういう具合に治したらいいのだろう?
ネットを見ていると、自覚症状があるのに検査で異常のない時とか、自覚症状がないのに検査で異常がある状態を言うらしい。また高血圧や糖尿病などは未病の状態だと書いてあるものもあった。
確かにそんな気もするが、高血圧や糖尿は病気だし、末期癌でも症状がない人もいる。こんな人は症状がなくても癌があるからこれは未病とは言えない。腰が痛くてしかたないが、検査しても異常の出ない人は多い。これは未病ではなくて現在の診断技術が悪いから原因を突き止められないだけだ。

医療が発達していなかった昔は、いったん病気になると治すのが大変だった。生水を飲んで腹をこわすと死にかけることもあっただろう。だから生水を飲まないという養生を昔の人は誰でも知っていた。
未病という考え方は魅力的だが、実際に病気のことを考えてみると検査に異常がなくても症状があればそれは病気だし、症状がなくても検査値に異常があればそれも病気だ。

病気に対して具体的に考えると、養生と医療しか病気を防ぐ方法はない。水道水に塩素が入っているのは生水を飲んでも腹を壊さない配慮だし、水洗トイレの普及や冷蔵庫の普及も病気を防いでくれている。麻疹の予防注射や結核予防のレントゲン検査も未然に病を防いでくれている。未病を治しているのは公衆衛生の知識だ。

漢方は未病を防ぐ?

テレビをみていると、お医者さんが「漢方薬は未病を治す作用がある。だから医療費の削減作用がある。保険から漢方を外すとかえって医療費がかかる羽目になる。」そう主張していた。

漢方の臨床で働いている私にすれば、この「漢方が未病を防いでくれている」という言葉に違和感を感じざるをえない。保険に通っている漢方薬は、たとえば葛根湯だったら風邪引きや肩こりに使うと書いてある。未病のこんな症状に使うとは書いていない。

このお医者さんは、ふらつきや倦怠感など病気と診断されないような症状を漢方が治す、これが未病を治すことだと思っての発言だと思われる。しかし、それは漢方医学にあまりに失礼ではないか。
漢方薬は薬であり、未病といったあいまいな病態を治すものではない。漢方薬を医療費削減の手立てとしてアピールするのにも違和感を覚える。

病気を治す手立ては多いほうがいいし、それが保険に通っておればなおさらいい。もし抗生物質と排膿散及湯や十味敗毒湯のどちらかを保険から外すとなると、抗生物質を外すと主張する人はいないだろう。漢方薬は上手く使うと非常に効くが、細菌感染に抗生物質と言った単純な理論では使えない。みんながうまく使える薬のほうが重要なのは言うまでもない。

漢方で保険に通っているものは148種類しかなく、しかもその半数以上が感染性疾患に使う薬だ。主要な漢方処方は何百種類もあり、保険に通っているものはその中でもわずかな物しかない。保険漢方をすべての漢方薬の代表のように言うのも不自然だ。

未病という逃げ道

未病という曖昧な定義で事を考えるといろんな言い訳ができる。
薬用酒は未病を治すとかゴマは未病を治すとか宣伝することができる。それは健康食品の効能で免疫を上げると書いてあるのと同じくらい訳の分からないものになる。

未病を治すのに一番役に立ったのは間違いなく公衆衛生で、欠食児童を無くすために給食をつくり、周産期死亡を無くすために母子手帳を作ったりしてきた。戦後日本の国が長寿の国になりえたのは国民皆保険や公害防止などのこういった衛生行政のおかげだ。
テレビというメディアを使って、漢方が未病を良くするから医療費を削減できるなどと言って欲しくない。
漢方医学はもっとまっとうな医療だ。

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