第9回「効かない保険漢方薬」
効かない保険漢方薬
いくら正しい漢方の知識を持っていても、よい生薬が手に入らなければ治療はできない。漢方医にとって漢方薬は外科医のメスのようなものだ。生薬に詳しくなると、今度は保険漢方に興味が向いた。そこで大手の漢方薬メーカーにエキス漢方の製造について問い合わせてみた。
製造に使う生薬は、含有成分のバラツキをできるだけ減らすために、エキスを作るのに必要な3~5年間分を備蓄し、それらを混ぜ合わせて使っているとのことであった。こうすることで不作時の値段の高騰も、また採取する年度による有効成分のバラツキも防げて、安定して生薬を使うことができるという。さすがに大きなメーカーは品質管理が徹底している。次にエキス漢方はどのくらいの有効成分を含んでいるか、どうやって検定しているかを聞いてみた。葛根湯の場合、日本薬局方で決められた7種類の生薬の合計量20グラムからエキスを抽出する。抽出したエキスの有効成分が基準値の80%を超えていたら合格となる。
こうして作られた保険漢方薬だが、実際に使ってみると効かない。風邪に葛根湯を使っても効いたためしがない。何故なのか。不思議に思って山本先生に聞いてみた。すると、「保険漢方のエキス含有量は少なすぎる。2倍量がちょうどいい量だ。2倍量を使ってごらん」と教えてくれた。すると確かによく効く。他の漢方薬も2倍の量にするとよく効くのだ。私自身がエキス漢方を使った感じからエキスの量をお酒で表現すると、ほろ酔いになるかならないかの量だ。酒に弱い人は酔うが、普通の人には酔えない量だ。この保険漢方のエキス含有量が少なすぎることをなんとか科学的に証明できないかと思っていたところ、衝撃的な本が発売された。
成川一郎氏の[漢方の主張]だ。本には葛根湯の各メーカーのエキス含量が書かれていた。それを見ると、基準値を大きく下回る品物が多い。さらに成川氏はエキスの基準値になっている生薬の合計量20gが本当に正しいのかという疑問も掲げている。皇漢医学という本には葛根湯の生薬の合計量が42gと書かれている。生薬は取れる産地や取れた時期で成分がばらつく。だから一概に量を決めることができない。昔の本には葛根(かっこん)を何グラム、麻黄(まおう)を何グラムと生薬の量が書いてない書物さえある。書かれているのは葛根湯を構成する7つの生薬だけ。使う量は自分の使っている生薬の効き目から判断して使えということだ。
もともとの生薬量が少ない上に基準値を下回るエキスしか入っていなければ効くはずもない。なるほど、これは山本先生の発言を裏付ける科学的な証拠だと思った。
この本は新聞にも大きく取り上げられ、漢方業界は大騒動になった。保険漢方薬は毎年薬価が切り下げられるが、生薬の値段は上がってくる。エキスはインスタントコーヒーのようにして作られるだけだから製造工程での合理化が出来ない。だから各メーカーはエキスを少なくする誘惑にかられてしまったのだ。
【注:現在はエキスの基準値がまもられているはずだ。葛根湯の基準生薬量は18~25gまで会社による規定の違いがある。】
成川氏に手紙を書き、富山まで会いに行った。成川さんは、「葛根湯は温服(おんぷく)しなければ効かない」という。温服とは煎じ薬を熱いままで飲むことをいう。熱いままで飲むと、発汗作用が強くなり、汗が出て風邪が治る。
私は「その通りですね。昔はうどん屋風邪薬といって、うどんを食べた後に葛根湯を飲むと、発汗が強く起こるので、うどん屋に葛根湯が置いてあったわけですから」と返事をした。すると成川さんは、「自社の葛根湯の効能書きに『熱いお湯で飲む』と書いたところ、厚生省で文句を言われた。何とか科学的に証明してくれないか」という。私は「一介の開業医ですから(そのとき、私はすでに開業していた。開業については後で述べる)、とても治験なんかできません」と断った。だが成川さんは、そこを何とかしてして欲しいという。
温服について文献を調べた。面白いことに食べ物や飲み物で体温が変化するという論文はなかった。そこで、開業医でもできる実験を考えた。体温を測るには普通の体温計では無理だ。汗が出ると腋の下が汗で濡れて正確な体温が測れない。ちょうどその頃、耳の鼓膜温を測る体温計が市販された。鼓膜温は体の深部の体温を手軽に測れる機械だし、機械が出始めたところだから、臨床研究では使用されていない。そこで鼓膜温を測る体温計をメーカーから借りて実験に使うことにした。医院の近くのうどん屋で天ぷらうどんの入ったどんぶりの底の温度を測ると70度もある。これを10分以内に食べてもらって、体温の変化を測定した。また冷水を飲んだときの体温の変化も合わせて測定した。
面白いことに天ぷらうどんを食べると、1度近く体温が上がる。その後、汗が出て体温が下がる。一方の冷たい物を飲むと、1度近くも体温が下がるのだが、冷たい物の場合は、体温は上がらず、低体温が続く。食べ物や飲み物の温度による体温の変化は予想した以上に大きかった。このデータをそろえて温服の重要性についての論文にして日本東洋医学会誌に投稿した。論文の筆頭著者は私だが、共著者として山本巌先生と成川一郎さんの名前を加えた。何故、天ぷらうどんなのか、キツネうどんではないのか。それは私が天ぷらうどん好きだからだ。
中国の風邪薬
北京で風邪薬を手に入れた。桑菊飲(そうぎくいん)という風邪薬。これもエキス漢方だ。1回10~20gを1日2~3回、熱いお湯に溶かして飲めと書いてある。日本の風邪薬の1日量が7.5g、中国の風邪薬は最大で60g、日本のエキス漢方の量は少なすぎるし、また温服の注意も抜けているのだ。
保険の漢方薬が世間で広く使われている割に、あまり信頼されていない理由は、エキス含有量が少なすぎて効かないからだ。漢方薬には煎じ薬だけでなく生薬末を固めて作った丸剤や散剤(生薬を粉末にしただけの物)もある。保険の漢方ではこれらをすべてエキスにしているが、丸剤には丸剤にする理由があり、散剤には散剤にする理由がある。これを無視して作っているからなおのこと効かない。
実際の診療では保険漢方だけで病気を治すのは難しいことが多い。不十分なエキス量では病気は治らない。これが現状だということを是非知っておいて欲しい。
私の気分転換
医者という職業はストレスが多い。どの職業でも同じだが、上手にストレスを発散していかなければいい仕事はできない。私はストレスが溜まると、一人で夜のドライブに出かける。車の屋根を開け、六甲山を越えて田園地帯の広がる 三田 ( さんだ ) まで車を走らせる。学生のときはお金がないから中古の50CCの原付に乗っていた。山道を飛ばしてよく転んだ。転ぶと膝を擦りむいてしまう。家に帰ってジーパンを脱ごうとしても血糊でジーパンが脱げない。風呂場で水をかけながら固まった血を柔らかくして脱いだことが幾度かあった。オートバイで2度、車と衝突したことがあり、車での横転も経験した。幸いにも大きなケガをしたことはない。ある日、軽四を運転していたら、スピンしてガードレールにぶつかった。ルームミラーで額を切り、顔中血だらけになったが、驚くほど傷は小さかった。もう歳なので安全運転を心がけているが、峠道を飛ばして走るのは今でも楽しい。オープンカーの魅力はオートバイほど危険でなく、自然を楽しみながら運転できることだろう。屋根を開けていると、鳥のさえずりや虫の声を聞くことができ、草木の匂いまで感じられる。真っ暗な田舎道を走っていると、急に雲間から星空がのぞき、満天の星空の下を走る幸運にも恵まれる。そういう時はプラネタリュウムの下を走っているような錯覚におちいる。
もう一つのストレス発散はゴルフだ。祖父も父もゴルフをしていたから、なんとなく始めた。本格的にしだしたのは40歳を過ぎて父の所属するゴルフクラブに入会してからだ。入会審査は厳しく、40歳以上で他に2つのゴルフ会員権を持っていることが義務づけられていた。私は入会のために他のゴルフクラブの会員権も購入した。さらに実際にラウンドしてゴルフができるかどうか判断することも審査には含まれていた。そこで父と2人でラウンドした後、理事長の面接を受けた。
運動がそれほど得意でない私にはゴルフはとてもよいスポーツだ。ハンディがあるから下手でも楽しめる。心肺機能が高くなくても出来る運動だから、歳を取ってからでも始められるのがいい。
本当のゴルフの楽しさを教えてくれたのは、患者さんの山原さんだ。ある日、山原さんに誘われてゴルフに出かけた。スタート前、練習グリーンでパットの練習をしていると、山原さんが2人のツアープロを連れて現れた。山原さんは下手な人とラウンドするのは嫌だが、上手な素人とも回りたくない。素人のシングルさんは口うるさい自信家が多いからだ。山原さんは大変なお金持ちらしく、お父さんは戦前に自家用飛行機を持っていた。
ハンディ7の山原さんはプロにハンディを10もらって戦っていたが、半年に1度くらいしか勝てない。プロは素人相手でも徹底的に攻めてくるから面白い。300ヤードのパー4をワンオンさせ、調子がいいと7連続バディーを取ったりする。山原さんは自分がメンバーになっている10以上のゴルフ場を転戦しながらプロと戦っていた。私は何年にも渡ってこの戦いの中に誘ってもらった。山原さんは池のわずかな波の立ちかたで風の方向を読んだりする。こんな経験からすっかりゴルフが好きになった。だが、腕は上がらず、ハンディは12までだった。もともとドライバーショットが220~230ヤードで距離が出ない。おまけに緊張するとヘマする。読売テレビのチャリティーゴルフに出させてもらった時、カメラが回っていたから、大迫たつ子プロが解説をしているホールで2連続OBを打ってしまった。
プロとラウンドすることで、私はゴルフに関して妙な野心を持たなくなった。一緒に回るプロでさえなかなかシード権を取れない。練習もしない素人が、技術だのクラブだの言っても始まらない。あまり意気込んでゴルフをすると、ゴルフをすること自体がストレスになってしまう。上手に遊ぶためには、そこに非日常の要素を残しておかねばならない。のめりこみ過ぎると非日常が日常になり、仕事のように頭の中に居座ってくる。
遊びの中の非日常感はとても大切だ。遊びが日常になってしまえば、それはもう遊びでも癒しでもない。宮古島で面白い経験をした。家族で来間(くるま) 大橋を自転車で渡っていると、地元の小学生が3人、自転車に乗り、片手に釣竿をもって、追い越していった。「何処から来たの?」と子供が声をかけてきた。「神戸」と返事をすると、「何でこんな所に来たの?」と言いながら行ってしまった。確かに子供にとっては、ユニバーサルスタジオのある大阪やディズニーランドのある東京の方が楽しいだろう。私のこよなく愛する宮古の青い海は、地元の子供には日常過ぎて癒しにはならないのだ。
元気を吸い取られる
さて話を漢方にもどそう。漢方医学では学ばねばならないことが多い。漢方論理や生薬学、処方学、診断学、鍼灸など多方面にわたる。こういった中で、[気]というものに興味をもったのは、ある鍼灸師と出会ったからだ。その鍼灸師はとてもかすれた声をしていたので、「どうしたのですか」と聞いてみた。すると「腕のいい鍼灸師で体のまともな人はいません。治療の最中に患者さんに気を取られるのです」という。その鍼灸師によると、鍼を患者さんに刺し、ツボに当たった瞬間、指先から鍼を通じて気が吸い取られるという。
本当にそういう現象があるのだろうか。幾人かの知り合いの治療師に聞いてみると、口を揃えたように気を取られた経験をしている。柔道3段、合気道4段の体力自慢の平谷先生でさえ1度だけだが患者さんに気を吸い取られ、治療後に倒れこむように寝てしまったことがある。いろんな治療師の話をまとめると、気は水のように高い所から低い所に流れる性質があるらしい。元気のない患者さんを治療していると、自分の元気が患者さんに移っていくようだ。気が吸い取られると、吸い取られた人は病気になる。ただ、私はそういう感覚を持ったことがない。もし気を取られることがあるなら、反対に気を人にあげて元気にしてあげることもできるはずだ。そう 気功 ( きこう ) だ。気功を理解できれば、気の存在を確信できるはずだと思った。
- 第9回「効かない保険漢方薬」
- 2007年10月16日
「漢方医」目次
- はじめに(2007.06.25)
- 第1回「漢方医」(2007.06.25)
- 第2回「大学時代」(2007.07.10)
- 第3回「不思議な研究所」(2007.07.24)
- 第4回「葛根湯の謎」(2007.08.07)
- 第5回「漢方メーカーの恫喝」(2007.08.21)
- 第6回「鍼灸治療の研究」(2007.09.04)
- 第7回「井穴鍼」(2007.09.18)
- 第8回「漢方医としての自覚」(2007.10.03)
- 第9回「効かない保険漢方薬」(2007.10.16)
- 第10回「本物の気功師」(2007.11.13)
- 第11回「開業そして山本先生との別れ」(2007.11.13)
- 第12回「日本漢方と中医学の違い」(最終回)(2007.11.27)
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