第25話「鰻でワインが飲めるか?」
[うなぎでワインが飲めますか?]というのは、ソムリエの田崎真也氏が2006年に書いた本のタイトル。
確かに鰻にはワインは合いにくい。この難問に老人の友人である横井氏が挑むという。
老人が鰻の一流店を予約し、ワインは横井氏が持ち込んでの挑戦となる。ワインに合うかどうかの判定は、一級建築士、医者、弁護士夫婦、大企業のオーナー社長、公認会計士という味にうるさい人達で、私も参加を許された。
鰻屋は吉兆の親戚の湯木さんが経営している神戸で70年続く名店。この店の鰻は関西なのに背開き、蒸してから焼くという関東風だ。ただし、タレは関西風の甘めのタレで、これに合うワインを見つけるのはとても困難だ。
ワインの基礎
店に行く道すがら、老人はワインの基本を語ってくれた。
「ピノ・ノワール、カベルネ・ソーヴィニヨンといったよく聞く名前のブドウはすべて巨峰のような黒い色のブドウで、これを皮ごと発酵させることで赤ワインが出来る。白ワインはマスカットのようなブドウから基本的に作られ、皮をむいて発酵させる。」
「ロゼは?」
「白ワインと赤ワインを混ぜて作ることもあるし、白ワインに赤いブドウの皮を入れて発酵させることもある。」
「なるほど。シャンパンはぶどう酒なのですか?」
「そう、シャンパーニュ地方で作られるスパークリングワインをそういう。」
「どうして発泡酒になるのですか?」
「瓶に詰めて2次発酵させたり、二酸化炭素を封入したりするそうだ。まあ詳しいことは横井さんに聞いてくれ。」
鰻のコースとワイン
老人の用意した鰻のコースメニューを紹介しておこう。店にコースメニューの案内はなく、常連さん用に設定された裏メニューだ。
- 鰻の肝の串焼き、ハモのかまぼこ添え
- とり貝、鯛、マグロの刺身の盛り合わせ
- 野菜の炊合わせ
- 鰻巻き(うまき)
- 鰻の白焼き
- うな重 吸い物 漬物
- スイカのデザート
- の計7品
店に入ると既に横井氏が来ていた。保冷バックに5種類のワインを入れていた。シャンパンが3種類
- シャルル・エドシック 2005年 白
- シャルル・エドシック 1999年 ロゼ
- チェラスオーロダブルッツオ・ヴァレンティーニ 2011年 ロゼ
この3種類は主に刺身とか野菜の炊き合わせ用のもの。
この他に白焼き用に用意されたのが、
- ラン・ド・ランシュ・バージュ2014年
という若い白ワイン。
最後の蒲焼き用のものが、ピノ・ノワール種で作られた
- ジャン グリヴォ1999年 赤ワイン
という品揃えになった。
全員が揃うと、横井氏は何を思ったか、ワインの栓をすべて抜いてしまった。飲む度に栓を抜いてくのかと思っていたので驚いた。
また栓を抜いたワインの本数も多いので、余ってしまうのではないかと心配になった。
横井氏がワインを入れてきた保冷バックを指差して、老人が
「その銀色の保冷バックに書類を入れて仕事に使っていませんか?」と聞くと
「時々、使っています。」という。相当にイカれた横井氏だが、仕事の腕はいいらしい。
「どうしてすべて栓を抜いてしまうのですか?」と私が聞くと、
「ワインとの付き合い方について説明しましょう」と話を始めた。
ワインを女性に例えると
「ボジョレーヌーヴォーといった若いワインは若い女性に例えられます。いきなり押し倒してベッドに連れ込んでも大丈夫です。どういう意味かというと、栓を抜いてすぐに飲んでもフルーティーな味わいを楽しめます。
しかし年代物のワインはそうはいきません。いきなり押し倒そうとすると、平手打ちをくらうことになります。そこで、栓を抜いてじっくりと時間をかけて空気となじませなければなりません。そうでないと本当の価値を感じることができません。」
「なるほど。それで先に栓を抜いたのですね。」
「その通り。全部一度に抜きましたが、料理の出てくるタイミング、空気での酸化時間を考慮してのことです。」
「なるほど。それで空気に触れさせるためにデキャンタ(ワインを空気に触れさせるためのガラスの容器)を使うわけですね。」
「そんな無茶をしたらダメです。いきなりパンツを脱がすようなものです。」
この下品な例えに女弁護士は顔をしかめるが、横井氏は気にせず話を進める。
「栓を抜くだけにしてゆっくり空気に触れさせていきます。」
この話を聞きながら、私は老人に連れていってもらったワインバーのことを思い出した。
ワイングラスに注がれたばかりの赤ワインはタンニンがきつく飲みにくかったが、ワイングラスに入れたワインを数十回まわしてから飲むとすごく飲みやすいものに変化した。
「ロマネコンティって知っていますよね。」と横井氏。
「はい。一本200万円もするワインですね。」と私。
「そうです。あれは飲める最高の状態にするのに4日かかります。」
「4日も、ですか?」
「そう。4日必要です。ロマネを飲むのはとてもリスキーです。栓を抜いた状態で停電になればロマネは飲めなくなってしまいます。」
ワインの世界はとても奥深いもののようだ。
横井氏の狙い通り、和食は3種のシャンパンで楽しむことができた。白焼きにはシャンパンでもいいが、確かにフルーティーな若い白ワインが合う。料理のコースの中で考えると、何やらフレンチコースの途中で出てくるシャーベットのような爽やかな存在が面白い。ロゼや白のシャンパンが続く単調さをほぐしてくれる。
「蒲焼きにはシラー(シラーズ)がいいという人もいるが、あれは煮込み料理に使うようなワインで、鰻にはやはり田崎さんのいう通りピノ・ノアールがいい。」と横井氏。
確かに飲んでみると鰻の甘いタレに負けない存在感がありながら、それでいて鰻の油を打ち消すような清涼感も持ち合わせている。だからといってそれは若いワインのような軽々しさでもない。シラーを合わせるとベタつきのような重さが重なってしまうように思える。
横井氏は言葉巧みにワインの特徴を説明していく。ナッツ、干しぶどうといった言葉が飛び交う。それを聞きながら私は、ロマネコンティは熟女、それも相当な熟女だ。干しブドウ、熟れたイチジク、ふと熟女はどんな姿をしているのだろうと思った。
宴も終盤になると老人と親しい若女将が登場して老人と話し出した。話題はいつしかサミットの行われた志摩観光ホテルのことになった。
「あそこのソムリエと親しくてね。」と老人は話し出した。「レストランには藤田嗣治の大きな絵が飾ってあるだろう。あれを俺が見ていると、ソムリエが、嗣治の好きだったスペインのカタールニア地方の発泡酒、カヴァを勧めてくれた。旨かったよ。」というと、女将は「私も家族でよく行きます。」という。志摩観光ホテルのフレンチを作り上げた高橋シェフと吉兆の湯木氏は親交があったという。
「なるほど天才は天才を知るということか。」と老人はつぶやいた。
最後に老人が立ち上がり、「次はフグで勝負ということでいかがでしょう?」というと、出席者全員から拍手が起こった。
「俺の馴染みの店は9月から3月までしか空いていない本当のフグ専門店。横井さん、刺身、白子、唐揚げ、鍋に合うワインを用意して欲しい。フグは寒い時期が美味しいので、来年の2月にしよう。予約が取りにくい店だから4か月前に出席を取る。ヒレ酒以上にフグに合うワインを用意して下さい。」
「分かりました。その時、また皆さんとお会いしましょう。」と横井氏は答えたのだった。
- 第25話「鰻でワインが飲めるか?」
- 2016年07月10日
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