第117回「贅沢を考える」
私が子供の頃、贅沢といえばステーキを食べたり、いい服を着ることだった。日本は貧しかったから、そんなことでも大変な贅沢だった。その後、何十年かして日本は豊かになり、また世界的なデフレから高級品だった衣服や食べ物は身近な物となった。だから憧れだった贅沢は贅沢ではなく、日常のことになってしまった。
山麓の病院
昔、とても贅沢な病院が六甲山の中腹に建っていた。ホテルのような病院の最上階はガラスばりのレストランになっていて、一流ホテルで腕を磨いたシェフが料理を出していた。市街地を見渡せるそのレストランで食事をすると、避暑地のホテルにいるような錯覚に陥った。
病院食はとても豪華だ。シェフが作るから美味しいのは当たりまえだが、それだけではない。栄養士が病室を訪ね、患者さんの好き嫌いを聞き、2~3種類のメニューの中から食事を選ぶことができる。食器もプラスティックではなく、すべて陶器。病院の中を歩いてみると、一般の病院のような威圧感がなく、病院全体にのんびりした雰囲気が漂っている。病院はオープンシステムだったので、自分の主治医を連れていって入院中も主治医に見てもらうことができる。主治医の指示を病院の医者が代行してくれ、主治医のいないときには病院の医者が対応してくれる。部屋はすべて個室で、無論トイレも風呂もついている。
ある日、往診を頼まれてその病院に出かけた。患者さんは広めの個室を年間800万円で借りていた。部屋を借りてはいるが、常に入院しているわけではなく、体調が悪くなると入院して点滴を受け、元気になると病院から会社に出かける。もっと元気になると家に帰る。そういう生活をしていた。部屋には患者さんが所有する高価なオーディオセットが置かれ、ホテル住いをしている小説家のようだった。
外来でも患者さん本位の姿勢が貫かれていた。たとえば胃カメラなどの検査は検査日が決まっていない。医者と患者さんが相談して検査日を決める。つまり自分の都合のいい日、いい時間に検査をしてくれる。
母が短期間その病院に入院していたことがあり、病院に行くたびに本当に贅沢な病院だと思った。自分も病気になれば入院したいが、金銭的に長く入院するのは不可能だ。もし余命幾ばくもないといわれたら入院したいと思った。
残念なことにホテルのようなその病院は破綻してしまった。潰れた原因は、多分、法律的な縛りの中で、自由な価格設定ができなかったせいだが、それ以外にも贅沢に対する日本人の考え方があったのではないかと思う。
何が贅沢かを考える
戦後、日本人は衣食住の充実を求めて懸命に働いてきた。車、クーラー、カラーテレビなど物質的な豊かさを求めてきた。だが、経済的に豊かになり、安くて性能がよい製品が買えるようになれば、贅沢に対する考えかたが変わってくる。車を買うのでも基本的な装備、たとえばエアコンやエアバックなどは軽四にも付いている。性能だけから考えると、ベンツでも軽四でも街中で乗るには違いはない。むしろ軽四のほうが小さい分、街中では取り扱いがいい。車オタクの人にはベンツに乗ることが贅沢かも知れないが、車に興味の無い人にはそこそこの値段の車で十分ということになる。今の時代、車、クーラー、カラーテレビを持つことに贅沢さを感じる人は少ない。だが、面白いことに、こういう過去の贅沢品にも大変高価なものと安い物がある。たとえばテレビでは100万以上する物から数万円の物まである。値段差は大きいのだが、性能的には変わらない、ただ画面の広さが違うだけだ。
自分の周りを見渡すと、そういった物が溢れていることに気がつく。数百万もする高級時計より1,000円の電池時計の方が性能的に優れていたりする。ワインに興味の無い人にはロマネコンティもテーブルワインも変わりがない。価格差ほどの違いの無い贅沢品が世間には溢れているが、本質的な違いのある贅沢は少ない。
贅沢な病院が潰れたのは何時だったか、明確には覚えていない。多分バブルの絶頂期を過ぎたころではないか。その頃、すべての日本人が物質的贅沢を追い求めていた。だから、お金持ちでも家や車にお金をかけても、贅沢な医療にお金をかける人は少なかったのではないか。今なら贅沢に関する考え方が多様化しているから病院は破綻しなかったのかもしれない。
私の意見
基本的な生活材が整っている国では、人々の嗜好、趣味が贅沢に色濃く反映される。つまり贅沢だと思うことは人によって大きく異なる。現在、医療の世界で贅沢をしたいと思っている人は多いのではないか。上で述べたような贅沢な病院までいかなくとも、せめて外来の待ち時間が無いとか、入院は個室を希望する人は多いに違いない。そのためにはどこまでを健康保険で補うか、どこまでを個人負担にするのかといった国民的議論が欠かせない。医療での贅沢を好まない人には最低の医療は保障し、医療の贅沢は自由化するとかの方法を取れば、贅沢を選択できる幅が随分と広がってくる。食べ物や車、旅行といった昔からの贅沢ではない贅沢がもっと日本にあっていいと思う。
- 第117回「贅沢を考える」
- 2005年08月20日
こちらの記事もあわせてどうぞ
香杏舎ノート の記事一覧へ

患者さまお一人お一人にゆっくり向き合えるように、「完全予約制」で診察を行っております。
診察をご希望の方はお電話でご予約ください。
- 読み物 -
- ●2025.05.01
- 第333回「ヒカサかヒガサか?」
- ●2025.04.23
- 第332回「直径5ミリの丸薬を作る」
- ●2025.04.20
- 第331回「医者が失業する時代」
- ●2025.04.01
- 第330回「トランプ大統領の暴挙」
- ●2025.03.10
- 第329回「代官山の美容室 黒須先生」
※ページを更新する度に表示記事が変わります。