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漢方医

第12回「日本漢方と中医学の違い」(最終回)

中医学と四柱推命

大学で教鞭を取り出して10年の月日が流れた。ある日、教授から4回生に講義をして欲しいと頼まれた。姉妹校になっている中国の大学から中医学の教授を招いて講義を行う。その講義の前に、日本の漢方と中医学の違いについて講義をして欲しいというのだ。

私は2回生に、薬理学の講義の中で、生薬学を中心に教えてきた。漢方の思想については日本漢方や中医学など幾つかの考え方があることは明確に教えてきたが、思想についてのコメントは避けた。講義時間が少ない中、中途半端な説明で誤解を与えてはいけないと考えたからだ。今回は中医学と日本漢方の違いという明確なテーマで講義しなければならない。困難なことは中医学から日本独特の日本漢方がどのような経過で生まれたか、その経過についても説明しないといけない。だが、何故、日本漢方が出来たかということに関する文献などない。臨床家の私には荷が重過ぎるテーマだった。とりあえず依頼は引き受けることにして、この際、自分の知識が間違っていないかを検証し、また足りない部分を補う意味でも知識のある人に教えを請うことにした。
旧知の中国人に助けを求めた。その中国人は中医学にも日本漢方にも造詣が深く、また日本の漢方業界の事情にも詳しかった。その人にクリニックに来てもらい、勉強会を開くことにした。自分の知識を再確認したノートを手元に、質問をしていくという形式で教えてもらうことにした。

「中医学の基礎理論となっている中国の古代哲学、陰陽五行論を説明するのが難しいですよね」と私は口を開いた。「医学生に陰陽五行の話をしても、宇宙人の言葉を聞いているようなものですから。どうすれば分かり易く説明できるのですかね。」

陰陽とは世の中の物はすべて陰と陽の2つに分類され、陰と陽がバランスをもって存在するのが望ましいとする考え方だ。女は陰、男は陽、背中は陽、腹は陰といった具合に分けることができる。
五行とは 木 ( もく ) 、 火 ( か ) 、 土 ( ど ) 、 金 ( きん ) 、 水 ( すい ) の5つの成分から地球上のすべての物質がなりたっているという中国の哲学思想だ。木、火、土、金、水には相生(お互いに促進的に働く関係)と相克(お互いに抑制的に働く関係)の2つの関係がある。
臓器では木に肝が、火に心が、土には脾が、金に肺が、そして水には腎が、それぞれ割り振られている。促進する関係と、抑制する関係のバランスが崩れたときに病気になる。この割り振られた五行の抑制しすぎる関係や、促進しすぎる関係を正常にしていくのが病気の治療だ。病気を治療するためには、どの臓器にどの五行が割り当てられているかを知ることは勿論だが、その状態を分析して治療していく必要がある。

中国人は口を開いた。
「確かに日本人には分かりにくいかもしれないが、中国人にとっては難しい考え方ではない。」
「どうしてですか。」
「四柱推命だよ。四柱推命の理論は陰陽五行だ。教養のある中国人は四柱推命を常識として知っている。だから漢方理論の中に陰陽五行が出てきても違和感を持たない。つまり、中国人の日常に根づいた考え方だから難しいとは感じないのだ。」
「四柱推命って占いでしょ。すべての中国人は四柱推命という占いを、信じているのですか。」
「信じているわけではないが、人生の参考にしている人は多い。私は子供の頃、四柱推命で北東の方向に縁があると出ていた。今、私はその方向にある日本で暮らしている。四柱推命は人生の決断の時に参考になる、人生の確率論のようなものだ。当たらずといえども、遠からずなんだ。」
「四柱推命って、どんなものなのですか。」

「人は生まれながらにして運命、運と 命 ( めい ) を持っている。命(生まれた環境)は変えることができない。だが運は変えることができる。例えば天子(皇帝)に生まれた人は、天子に生まれたという命を変えることはできない。天子であっても、運が悪ければ臣下に殺されてしまう。だから命(生れた時間)から、いい方角、いい出会いといった運をつかまえていく方法論が四柱推命なのだよ。四柱とは年、月、日、時間という生まれた時を規定する4つの要素を言い、この4つの要素から自分の運命を推測する方法だから四柱推命というわけだ。」

「つまり教養ある中国人は陰陽五行を知っている。それは四柱推命の基礎になっているのが陰陽五行だからですね。中国人は人生の中で何かを選択する時、四柱推命を参考にする。日本人のように占い師に見てもらうものではなく、自分で陰陽五行を考えて実際に使う。こういうことですか。」

「そのとおりだ。生まれた年月日にも五行が割り振られている。例えば[ひのえ 午 ( うま ) の女はキツイ]とか言うだろう。ひのえ 午 ( うま ) は60年に一度回ってくる 干支 ( えと ) だ。ひのえ(火の 兄 ( え ) )つまり、五行の火だ。土星人は土だし、木星人は木、つまり、時間、日、年、方角など、すべての物に五行と陰陽が割り当てられている。自分の生まれた時間で五行が決まり、自分の五行と、例えば恋人の五行をつき合わせ運勢を占っていくわけだ。」

ここまで聞いて、私は一つの謎が解けた。山本先生の師匠の中島先生は 易 ( えき ) をしていたという。もう20年以上前に聞いた話だが、その時は「医者が占いをやるなんて」と思ったが、漢方理論の理解のためにやっていたのだろう。

四柱推命の研究

私も四柱推命の研究をしてみることにした。本を買ってきて読んでみたが、大事なことが書いていないし、ずいぶんと考え方の違う流派があるようだ。専門家ではないが、四柱推命を大雑把に説明してみよう。

時刻と方角古代の中国人は月の満ち欠けから一年を12に分け、十二支を振り当てた。 子 ( ね ) 、 丑 ( うし ) 、 寅 ( とら ) 、 卯 ( う ) 、 辰 ( たつ ) 、 巳 ( み ) 、 午 ( うま ) 、 未 ( ひつじ ) 、 申 ( さる ) 、 酉 ( とり ) 、 戌 ( いぬ ) 、 亥 ( い ) である。子をネズミ、丑をウシと動物に割り当てたのは、前漢の頃だといわれている。文字を知らない農民たちに「絵解き暦」を与えるためのものであった。また太陽に10種の種類があり、それにつけられた名前が甲、乙、丙、丁、 戊 ( ぼ ) 、 己 ( き ) 、 庚 ( こう ) 、 辛 ( しん ) 、 壬 ( じん ) 、 癸 ( き ) である。これを 十干 ( じっかん ) という。殷人はこれと十二支を組み合わせて60日の順序を表すようにした。さらに年を表すようにもなり、60年で一巡し 還暦 ( かんれき ) という。
十二支は年のみならず、時刻や方向を示すものとしても使われている。この子干(十二支と十干)にも陰陽および五行の木、火、土、金、水が割り当てられている。

時刻と方角を示した図をみてほしい。東南の方向は 辰 ( たつ ) と 巳 ( み ) の間だから 巽 ( たつみ ) になる北西は 戌 ( いぬ ) と 亥 ( い ) の間だから 乾 ( いぬい ) となる。他の2字、北東と南西はウシトラとヒツジサルになることは自然に理解できる。 方向にも時間にも十二支が使われているから、五行が割り振られている。この結果、運のいい方向や、運の悪い時間が自分の五行との兼ね合いで生まれてくる。

命は生まれた年、月、日、時間、つまり年柱、月柱、日柱、時柱の4つの柱は2つの 子干 ( しかん ) の組み合わせで表される。例えば1972年7月11日6時28分生まれの人の四柱は、年柱が 壬子 ( みずのえね ) 、月柱が 丁 ( ひのと ) 未 ( ひつじ ) 、日柱が 癸 ( みずのと ) 卯 ( う ) そして時柱 乙 ( きのと ) 卯 ( う ) になる。木、火、土、金、水は相克、相生という互いに促進する関係と互いに抑制する関係があるから、陰陽の関係と相まって複雑な相関関係を示すことになる。この陰陽五行を駆使し、人間関係、方角、時間などで自分に最適な物を選んでいくことにより自分の運気をよい方向にもっていくことができる。

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四柱推命について患者さんと雑談すると、「祖父が四柱推命で運をつかむ事ができて、一代で一部上場会社を作り上げた」という人がいる。またある患者さんは「ずいぶんと四柱推命にお金をつぎ込んだが、結局いい運をつかむことが出来なかった」という。いろんな人の意見を聞いてみて、何となく四柱推命が見えるような気がした。四柱推命は人生の選択に迷うときに参考にする程度に利用するもので、それは医学の中での五行の使われ方とも同じなのだ。漢方医も陰陽五行論は参考にするもので、五行だけで診察する中医師などいないのだから。

日本漢方の生い立ち

私は品川プリンスホテル、桜タワーのジュニアスイートに泊まっていた。幸いにもホテル側が普通の部屋からアップグレードしてくれたのだ。漢方の勉強に疲れた私は気分転換に娘が下宿している東京に遊びに来た。家族で食事をして、東京を散策すれば元気も出るはずだ。休み中は中医学や日本漢方の本は読みたくないので、紀伊国屋の洋書売り場で本を買って読み始めた。Jared DiamondのGuns, Germs, and Steelという題名の本だ。あまりに面白いので、新幹線の中でもホテルについてからも、読みふけっていた。

ニューギニアから話は始まる。アメリカ人の生物学者がニューギニアに行き、ヤリという原住民と出会う。ヤリはアメリカ人に疑問をぶつける。「ニューギニアには100万年前から人類が住んでいる。だのに20世紀初頭まで石器時代の生活に止まっていた。アメリカ大陸には1万3千年前まで人類が住んでいた形跡はない。人類が住んでから1万3千年しか経っていないアメリカ大陸に生まれたアメリカ合衆国は世界の頂点に君臨している。ニューギニアのほうがずっと歴史が長いのに、どうしてこのような文明の発展に違いが出てしまったのか?」
この疑問を人類学、植物学、言語学、地政学などから解き明かしていくという大変興味深い内容の本だ。この本の中で、文字の発明は、火薬や羅針盤といった発明に比べても段違いに難しい発明だと書いてあったのが印象に残った。

ホテルのベッドに横になり、天井を見上げながら考えた。日本人は文字を発明しなかった。中国から漢字を借りてきて、 平仮名 ( ひらがな ) を作った。医学も中国から輸入した。そして日本漢方ができた。中国語の漢字から日本語の文字が出来た経過と、中医学から日本漢方が出来た経過を比べながら、日本漢方ができた過程を検証してみれば面白いのではないかと思った。

1~2世紀頃、中国から日本に伝わった漢字は、初めは 万葉仮名 ( まんようがな ) として用いられた。万葉仮名とは漢字を日本語の音を表現する道具として、文字の意味を無視して使うことをいう。たとえば、夜露死苦をヨロシクと読ませるようなものだ。その後、漢字の音読みに、訓読みをつけていった。さらに漢字の「安」から「あ」が、「以」から「い」という風に平仮名がつくられ、ウカンムリから「ウ」という片仮名がつくられていった。こうしてできたのが日本語だ。日本人は原理原則にこだわらず、器用すぎる器用さをもって漢字から文字を作り、知識を吸収してきた。漢文にレ点をつけて訓読みさせるなどは、日本人にしかできない知識の吸収の仕方だろう。

医学の伝来はどうだったのか。7世紀ころから遣隋使や遣唐使によって中国の医学が日本にもたらされた。このときの医学は陰陽五行を含む中医学であった。日本人は伝来した多くの書物の中から感染症の治療が書かれた 傷寒論 ( しょうかんろん ) を選び、感染症でない慢性病にも本の条文を当てはめて日本漢方の学説を作った。何故、数多くある医学書の中から傷寒論が日本漢方のバイブルになったのだろう。
葛根湯のところの条文を思い出して欲しい。[背中や肩が机の板ように硬くなり、汗が出なくて風に当たると寒気がする時は、太陽病だから葛根湯で治療しなさい。](太陽病、 項背 ( こうはい ) 強 ( こわばる ) こと 几几 ( きき ) 汗なく 悪風 ( おふう ) するもの葛根湯 之 ( これ ) を 主る ( つかさどる ) )

つまり、傷寒論には五行が出てこないのだ。日本人は五行を嫌い、五行の無い漢方理論を傷寒論に求めたのだ。日本人は漢字から仮名を作った器用さで、傷寒論から方証相対という理論を組み上げた。器用に作られた学説ではあるが、日本漢方には医学体系というほどの理論体系はない。それはカタカナ、平仮名、漢字、ローマ字が混じっている日本語の統一性を欠く言語形態と似ている。

一方の中医学には立派な理論体系がある。それは現実とかけ離れた理論、つまり陰陽五行論を基本とする空理空論が多い。建前は立派な学問になっていても、実際に理論では病気を治せない場合が多い。形式や 面子 ( めんつ ) を大切に考える中国人の思想が中医学にも現れているように感じる。実際のところは、中医学も日本漢方も医学体系というほどの学問体系はない。つまり、漢方は医学というより医術だというのが適当かもしれない。

私は4回生の講義を四柱推命から始め、中医学の陰陽五行について説明した。そして漢字の伝来と比較しながら、五行嫌いの日本人の工夫から生まれた日本漢方を講義した。

「漢方を学ぶポイントは、漢方が系統だった学問であると誤解しないことだ。日本漢方も中医学も未熟な学問を理論体系にしようとした先人たちの努力の結果であることは間違いない。我々のすべきことは、よき師について漢方を学び、医術を医学にしていく努力をしていくことだ。そうすれば、将来、漢方医学はすばらしい学問体系になるだろう」と講義を締めくくった。

伊勢海老のクリームスープ

私は銀座のフレンチレストラン、ロオジエに来ていた。そこで、伊勢海老のクリームスープを注文しながらギャルソンに話しかけた。 「私はね、いつも伊勢海老に対して満たされない思いを抱き続けてきた。伊勢海老って図体はでかいのに食べられる部分がとても少ないでしょ。だから、いつかは一匹丸ごと食べてみたいと思ってきた。でも願いは叶わなかった。伊勢海老は高価だから、ほんの一切れしか食べられなかった。殻に身が残っていないか調べてみても、硬い殻と棘にはばまれる。伊勢海老をたくさん食べたいという思いは、いつしか自分の中で劣等感にまで発展したんだ。

初めて伊勢海老のクリームスープを飲んだ時の驚きは忘れない。スープを口に含むと、伊勢海老の旨みがいっぱいに詰まっているのに驚いた。一口、また一口スープを飲むたびに私の伊勢海老に対する渇きが満たされていくのを感じた。飲み終わった後の満足感をどう表現したらいいのだろう。長年の夢がかなったとでもいうのだろうか。このスープを作ったシェフは天才だと思う。」
「何、どうして伊勢海老のクリームスープが無いのだ。楽しみにやってきたのに。」
「どうして、どうして、なのだ。」

志摩観光ホテル ラ・メール

志摩観光ホテル ラ・メール

「お父さん」と呼ぶ声に私は目を覚ました。ずいぶん長い間、志摩観光ホテルの庭園にあるベンチで寝込んでいたらしい。「お父さん、そろそろ夕食の時間だよ。お母さんがロビーで待っている」と娘が言う。

周りを見渡すと暮れなずむ志摩の景色が目に入った。私は立ち上がって、五月の空気をいっぱいに胸に吸い込んだ。「来年ここに来るまで、また患者さんと一緒になって病気と闘わねばならない。今日は食事をしてゆっくりと休もう。明日からの戦いに備えて」そうつぶやいたのだった。(終)

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