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漢方医

第5回「漢方メーカーの恫喝」

漢方メーカーの恫喝

地方支店の課長だった。「専門家の先生に来てもらっているのに何てことをしてくれるのだ」という。私は疑問に思ったことを聞いてみただけなので、そういう風に返事をした。すると「漢方業界で飯を食えなくしてやる」と脅された。私は驚いた。 恫喝 ( どうかつ ) されて驚いたのではない。課長が自分にそれほどの力があると錯覚しているのに驚いたのだ。大手漢方メーカーは講演会を通して医者に漢方理論を教えていたから漢方薬や漢方業界は俺たちの物だという驕りが末端の社員にまで浸透していた。

会場を後にしながら考えた。漢方メーカーは何故ここまで日本漢方の方証相対という説にこだわるのだろう。ひょっとして日本漢方の単純な考え方が販売戦略と結びついているのではないか。葛根湯を構成している1つ1つの生薬の薬効を覚え、処方が組まれた意味を理解していくのは根気のいる作業だ。そういうことをしないで[葛根湯は不思議だけど効く]のほうが分かりやすい。そうか。主催者のメーカーは私が雑音を立てるのを好まなかったのだ。そう思うと、その講師を大切にしている意味も理解できた。漢方はもともと開業医の中で伝承されてきた。だから開業医にしか優れた漢方医いない。だが、講演会の講師は開業医より大病院の副院長のほうが受けはいい。さらに大病院が漢方薬を採用してくれれば、開業医に売り込むより大きな取引が望めるし値段交渉もしやすい。なるほどと私は思った。

考えてみると、大病院の副院長で漢方を長年専門にして来た人などいないはずだ。私だって漢方を研究していると言っただけで看護師に笑われたことがある。だからその先生は大手メーカーが作った即席の講師なのだろう。企業は利益を追求するのが本来の目的だ。だからこんな方法であっても日本漢方を宣伝することについてもメーカーを非難することはできない。ただ医者を恫喝するような会社になっては漢方の正常な発展は望めないだろうと思った。
私の心配はあたっていた。そんなことがあって2~3ヶ月した頃、大学で講師をしている兄から電話があった。
「お前のいる漢方医学界は不思議な所だ。大手漢方メーカーの営業担当者が大学に来て、漢方の専門医になりませんかと宣伝している。日本東洋医学会の入会金と専門医になるための判定料金を払えば専門医になれるとね。認定審査に必要な症例報告と漢方的考察はこちらで書きますと言っている」と電話を切った。結局、漢方メーカーが営業目的で漢方の知識を広めるのは大きな弊害をもたらしたのだった。

山本医院に見学に出かけた時、私は山本先生に日本漢方について質問した。先生は「日本漢方では方証(ほうしょう)相対(そうたい)のことを症状に合わせて治療する(随証(ずいしょう)治療(ちりょう))といっているが、あれは患者さんの症状にあわせて薬を出すのではなく、多くの患者さんの中から太陽病に合う患者を探し出して治療する、(随方(ずいほう)治療(ちりょう))つまり熱がある人や汗のある人を除いて、汗がなく寒気がして肩が凝る人だけを選び出して治療することだね」といって笑った。そして次のように続けた。「葛根湯は加減をすれば広く様々な病気に使えることも事実だ。たとえば副鼻腔炎(チクノウ)には頭痛を止める川芎(せんきゅう)と鼻詰まりを治す辛夷(しんい)を足してやればいい。すると葛根湯加川芎辛夷(せんきゅうしんい)になる。熱のある場合は石膏(せっこう)を足してやればよい。日本漢方を主張する人たちは葛根湯を一つの薬として考えるからおかしなことになる。一つ一つの生薬の薬効が頭に入ってくると自由に処方を組むことができるようになる。そうなれば本当の意味での漢方医と言うことができる。」
そうか、どんな病気とまでは言えないが、葛根湯がいろんな病気に効くのは加減をするからなのだ。サジ加減とはよくいったものだ。サジ加減を抜きにしてどんな病気にも効くと日本漢方では説明しているのだと、やっと納得がいった。

治療イメージ太陽病の症状に合う患者を選んで治療するのは葛根湯という既製服に合う体型の人(患者)を見つけるのに似ている。ぴったりのスーツがあるかは分からない。本来なら患者さんの症状に合わせて葛根湯を加減してやればいい。この治療はオーダースーツだと思えば分かりやすい。左が日本漢方の既製服漢方で、右が患者さんの症状にあわせたオーダー漢方だ。
(1991年福岡医師漢方医研究会会報 第12巻9号、日笠作成の資料より)

さらに私は以前から気になっていた中医学のことについても聞いてみたかった。陰虚や気虚はなんとなく分かったのだが、それ以外のことがあまりにわからなかったからだ。
「先生、中医学はどこまで理解すればいいのですか。なにか雲をつかむような話が多いのですが?」
「日笠先生、噴門(ふんもん)と幽門(ゆうもん)という言葉は知っているでしょう。胃の入り口と出口ですね。では闌門(らんもん)を知っていますか。」
「知りません。」
「これは医林改錯(いりんかいさく) という本の中に出てくる言葉なのですが、食べた物は体に入り固形物(便)、と水(尿)に分かれ体外に排泄される。この固形物と水様物に分ける門があると昔の人は考えたのです。それを闌門と呼んだ。解剖学も生理学もない頃のことですからそういう風に考えたのです。中医学の古典には中国の古代の哲学である 陰陽五行論(いんようごぎょうろん)が出てきますから、ますます難解になります。中医学の中には陰虚(いんきょ)や気虚(ききょ)といったうまく病態を表す言葉や考え方もありますが、大雑把に言って本を読む必要はありません」そう教えてくれた。

山本先生の臨床能力

実際に見る山本先生の診察は驚きの連続だった。癌で転移もあった患者さんが治ったという。 強皮症 ( きょうひしょう ) という難病がある。皮膚が硬くなっていく病気で、指の先などは皮膚が硬いために循環不全から腐ってくる。その患者さんが漢方で皮膚が柔らかくなってきたと話す。ほんとうにヤラセではないかと疑りたくなるほど難病が治っていたのだ。

山本先生の漢方医としての腕を物語るエピソードは多い。あまりに多いので、1つだけ上げてみたい。ある時、私は山本先生から一緒に講演をしようと誘われた。それは国立大学の薬理学教室が主催する市民講座だった。山本先生と私の漢方に関する講演は無事終了して主催者の薬理学教授が最後の挨拶を始めた。「じつは私は肝臓癌の患者です。肝臓内に転移もあったが山本先生の薬を飲んでから癌が消えてしまった。癌がほんとうになくなったのかどうか知らないが、もし癌があったとしても癌と共存していけばいいのではないか」と言った。この話を聞いて、数百人の聴衆は水をうったように静まり返った。演壇上に設けられた席に座っていた私は隣の山本先生を見ながら是非とも先生のような名医になりたいと思った。

山本先生は漢方医として優れていただけではない。西洋医としての腕も大変なものだった。ある日、診察を見学していると皮膚病の患者さんがやってきた。赤い色の皮膚炎が腹部に出ている。私にはその皮膚炎がどういう病気か分からなかった。私は皮膚科の非常勤講師をしていたこともあり、皮膚科の勉強を1年ほど前からやり直していた。夏目君が市民病院の皮膚科に出向していたので夏目先生の診察を毎週1回外来に見学にいっていた。でも分からなかった。先生がどんな診断と処方をするのか興味を持って見つめていた。

「ジベルバラ色粃糠疹(ひこうしん)だ。治療はいらない。6週間ほどで自然に治る」と先生は診断された。もともと山本先生は消化器内科の先生なのに凄い能力だと驚いた。山本先生の医院にはレントゲン、胃透視、腹部エコー、胃カメラなどの器械があり、先生は内視鏡の専門医の資格を持っていた。さらに眼底カメラ、聴力検査器、サーモグラフィーまで備えられていた。

山本先生は単に漢方の腕が秀でているだけではなく、西洋医学の臨床能力も幅広い分野でとび抜けた実力を持っていたのだった。漢方医といえば古典を読み、患者さんの脈を診て診察して煎じ薬を出す、そんなイメージとはかけ離れた存在だった。私は以前からよい漢方医は幅広い西洋医学の知識がなければならないと確信していた。何故なら漢方医のところにはいろんな科の患者さんがやってくるからだ。だから私は皮膚科だけでなく整形外科の外来にも行って勉強をしていたのだが、そんな努力も山本先生の前では、まったく色褪せてみえた。

名医になる方法

そもそも医者が他の医者が治せない病気を治せるようになるにはどうしたらいいのだろう。
ある医者がブラックジャックのような外科医になりたいのなら、腕のいい外科医の下でできるだけ症例を経験することだ。そうすれば難しい手術のできる名医になれる。ただし条件がある。1つには手先が器用なこと、そして長時間の手術に耐える体力を持っていることだ。さらに外科医として十分に腕が振るえる舞台も必要だ。手術をするためには多くのスタッフと機材がいる。そのスタッフや機材を備えている大病院に就職して、若いときから手術を任される立場に立てないと手術は上手くならない。大学病院だと教授や助教授が中心になって手術をするから執刀医にはさせてもらえない。もちろん知識も重要だ。だが学業が優秀なだけでは名医にはなれない。知力と体力さらに手先の器用さが要求される。最も困難な条件は、やはり外科医として活躍する舞台を確保することだろう。いい病院はすでに大学から派遣された医者に占拠されている。だからそんな病院に就職したくでも就職させてもらえない。どんな場合でも名医を目指すのは並大抵のことではない。

西洋医に比べて漢方で名医を目指すのはもっと難しい。努力する方法が見えてこないのだ。日本漢方や中医学などの医学理論は難解であり、しかも迷信的な部分を多く含んでいる。それはあたかも人が足を踏み入れるのを拒んでいるジャングルのようだ。うっかりジャングルに足を踏み入れると道に迷い、永遠にジャングルから出られなくなってしまう。

ノーベル経済学賞を受賞した米国のポール・サミュエルソン教授はケインズの難解な理論を分かりやすく説明してみせた。それはあたかも常人の経済学者が徒歩でジャングルを進むところを彼はヘリコプターに乗って一気にそのジャングルを眼下に見下ろしながら進むようだったという。私は山本先生が難解きわまる漢方のジャングルを空中高くから見下ろして楽しんでいるように思えた。
ともかくできる限り漢方に関する事柄を学んでいかねばならない。それしか方法はない。ただし、迷信の部分にはまり込まないように注意しながら実践で体感することだ。陰虚や気虚のように臨床で体感していけば理解が進むに違いなかった。

鐘紡記念病院の漢方外来

少し漢方が分かってきた私は大きな病院の漢方外来で腕試しをしたくなった。これまでも内科で診療しながら漢方を処方していたが、漢方だけを求めて受診してくる患者さんを漢方外来で診てみたくなった。色々調べると、鐘紡記念病院(現在は神戸百年記念病院に名前を変更)に漢方外来があることが分かった。鐘紡記念病院の松本院長は母校の麻井名誉教授と同級生であった。そこで麻井名誉教授に「鐘紡記念病院の漢方外来で週に1度でもいいから診察してみたいのです。なんとか松本院長に口添えをしていただけませんか」と頼みにいった。麻井名誉教授は自分の名刺を出してきて、それに用件を書き、これを持って会いに行きなさい、君の頼みごとは、あらかじめ連絡しておくと言ってくれた。そこで名刺を持って面接にいった。松本先生は80歳を過ぎていたがカクシャクとしていた。院長室に入ると、近くの喫茶店からカレーとコーヒーを取り寄せて昼ごはんを食べながらの面談となった。このカレーとコーヒーは来客者のあるときのセットメニューで、私も何度かご馳走になることになる。先生は週に1度の外来を許可してくれた。ただし、「前任者の外来は1日3-5人くらいしか患者さんが来ないのでひどく赤字だ、だから採算をあげてもらわないと困る」と言われた。さらに30台後半の私に「今から10年間しっかり勉強しなさい、今からが大事だ」とアドバイスをくれた。働き出してみると鐘紡記念病院にはアットホームな居心地のよい空気が流れていた。それは50年も院長を務めてきた松本先生の人柄が反映されているようだった。1年もすると私の漢方外来の患者数は以前の10倍になった。

上:服用前、下服用後。粘膜の膨らみが縮んでいるのが分かる。

上:服用前、下服用後。粘膜の膨らみが縮んでいるのが分かる。

鐘紡記念病院の耳鼻科と眼科には同級生の医者が勤務していた。そこで両方の科で臨床実験をしてみることにした。先ず耳鼻科の津田先生の所に出向き、鼻アレルギーが漢方薬でよくなるのを確かめたいと協力を依頼した。耳鼻科には鼻アレルギーで悩む美人の看護婦さんがいた。私は「漢方にも即効性があることを証明したいから、薬を飲んで1時間で鼻詰まりが治るかどうかで鼻の中の写真を取らせて欲しい」と頼んでみたが、色よい返事がない。そこで「一緒に懐石料理を食べに行こう」と食事をおごることで何とか納得してもらった。漢方薬の麻黄附子細辛湯(まおうぶしさいしんとう)投与後、1時間で鼻の穴が通っているのがわかる。

次に眼科の樋口先生に緑内障(りょくないしょう)の研究をしたいからと頼みにいった。緑内障とはピンポン玉みたいな眼球の内圧が上昇することで網膜が圧迫されて失明することもある難しい病気だ。私は山本先生から越婢加朮湯(えっぴかじゅつとう)が眼圧を下げると聞いていたので、本当にそうなのか調べてみることにした。すると確かな眼圧降下作用がある。そこで他の漢方薬も集めて比較した。ある日、眼科の外来で資料をまとめていると、眼科顧問の井町先生が入ってきた。先生は80歳を過ぎていてもスキーを楽しむスポーツマンだ。「日笠君、若いのに腹を出してはいけないよ」と私の腹をポンと叩いて出ていった。井町先生と松本院長はともに大学の同級生で、すこぶる元気だ。私もあの年まで元気で臨床をできれば大きな仕事ができるのだろうと思った。この緑内障(りょくないしょう)の研究は眼科学会で発表してから論文にまとめた。後日、この成果は新聞で報道された。
数年前、亡くなった父の遺品を整理していると、古びて黄色く変色した新聞の切り抜きが出てきた。父が自分の記事を切り抜いて置いているのだろうと思ってその切抜きを開くと、そこには若い自分が白衣を着て写っていた。私の緑内障に関する新聞の切り抜きだった。何も言わない父が私の研究を喜んでくれていたのだと初めて知った。

虚(きょ)・実(じつ)

診療で実力がついてくると、様々な本を読み込んでいく必要を感じた。だから中医学も日本漢方の本も含め読んでいった。本の中では様々な漢方用語が私を悩まし続けたが、漢方用語で虚と実(弱と強の意味)ほど中医学でも日本漢方でも意味不明の言葉はなかった。
日本漢方では、実とは体力あるレスラーのような者をさし、虚とは色白で細く痩せているような体力のない者を指す言葉として使われていた。厚生省の許可した漢方薬の効能書きに次のような解説がついていた。「体力の充実した者の以下の症状に使う。便秘、胆石-‐」、「体力中等度の者の以下の症状に使う。—」こういった体力の強さによる効能書きが日本漢方の考え方どおりに記載されていた。何故、体力によって薬を使い分けなければいけないのか。さらに体力をどう判定するか。謎だらけだった。(ただし、今の効能書きからは省かれている。)

そこで中医学入門を読んでみた。「虚とは『生気の虚』で、実とは、『病邪の実』である。つまり人体にとって必要な物質や機能の不足が『虚』で、不必要、有害な物の存在と病理的反応が『実』と考えてよい。」10回は読み返しただろう。突然、私は床に本を投げつけた。「馬鹿やろう、何だ、これは。主語も述語もないじゃないか。よくもこんな分からない翻訳をしたものだ。これがどうして日本語と言えるのだろう」と腹を立てた。腹を立てながら山本先生なら知っているかもしれないと思った。

虚実

虚実(1991年福岡医師漢方医研究会会報第12巻9号、日笠作成の資料より)

そこで山本先生の診療を見学しにいったときに聞いてみた。
「日本漢方の虚実も中医学の虚実もまったく分からないのですが、あれはどう考えればいいのですか?」
「別に難しいことではない。たとえば感染症の場合、伝染力の弱い細菌もあれば強い細菌もある。腸チフスや赤痢は伝染力が強く、強い症状を引き起こす。それに比べれば夏風邪などは伝染力が弱い。つまり病邪(病気)に強い(実)のと弱い(虚)がある。人の体力にも強弱(虚、実)がある。体力のある人が強い細菌に犯されると、強い炎症反応と病理反応が出る。体力が弱っていると、通常では感染しないような弱い菌にもかかるが、高い熱などはあまり出ない。こんな感染を 日和見(ひよりみ) 感染と西洋医学でいうだろう。そういう状態を区分して示すために使われる言葉だ。体力がない場合は体力をつけながら病気を治し、病邪が強いときにはそれを積極的に叩かねばならない。日本漢方がおかしいのは、体力の虚実しか言わないからだ。いつの間にか病気の虚実が抜けてしまった。中医学では病邪の実と体力の虚しか言わないから分かりにくいのだ。」
なるほど山本先生は天才だと思った。私は家に帰ると山本内科診療見学録を取り出し、今日学んだ処方や症例を書きつけていった。最後に感想としてつぎのようなメモを書いた。

漢方の腕を上げるために

1、煎じ薬の使い方に習熟すること。
エキス漢方は加減ができない。できなければ一つ一つの生薬の薬効を学んでいくことは難しい。煎じ薬を加減して初めて生薬の薬効が理解できる。そうするうちに自分で自由に生薬を組み合わせて病気を治すことができるようになる。山本先生も戦後は生薬が手に入らず別の生薬を使って処方を組んでいた時代があり、それで腕が上がったと教えてくれた。そうならば是非とも煎じ薬を使える環境を整えねばならない。
2、知的な罠に落ちないこと。
学問好きな人ほど理論を好む。だが漢方には必要とされていない多くの理論が存在する。その理論を本の中で勉強していくことは楽しいかもしれない。だが実際の臨床に役に立たない。医学は実学だから机上の空論をもてあそんで時間を浪費しないように注意しなければならない。
3、できるだけ実体験すること。
漢方を教える学校が日本にない以上、できるだけ多くの漢方診療の場に立会い、現場を経験し、見学にいくこと。

この3つを書き終えて私はノートを閉じた。

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