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漢方医

第3回「不思議な研究所」

不思議な研究所

私は消化器内科にいる間も循環器の勉強は続けていた。ある時、免疫学の論文を読んでいるとモノクロナール抗体についての記事を見つけた。この免疫学の手法を使って心筋梗塞を早期に診断できないかと思った。胸の痛みを訴えて来院する患者さんの中には肺梗塞など他の疾患も混じっている。あまり胸の痛まない心筋梗塞もあるから、そういった診断に免疫学の手法が使えないかと思ったのだ。分かりやすく言えば、心筋梗塞の診断に免疫学の手法を使って診断薬を作れないかと思ったのだ。そこで県立病院を辞め、研究に取り組んでみようと思って母校の大学院に進学した。

入学すると私は心筋梗塞の診断薬を作りたいと申し出た。教授は「世界的な研究をしている研究所があるからそこに国内留学しろ」と言う。「好きな研究は母校に帰ってからやればいい。とりあえず免疫学の手法を学ばねばいけない」と説得された。
言われるままに研究所に出向くと、そこの所長は初対面の私を立たせたまま、「君のところの教授は研究所で一番の怠け者だった。あんなのが君の大学では教授をしているのかね」と言った。私は所長の言わんとすることをすぐに理解した。怠け者が教授をしているような大学の卒業生はどうせバカに違いない、そう言いたかったのだ。初対面の所長からこんな言葉を聞いても私は驚かなかった。
往々にして大変な自信家というのは自分では解消できない劣等感を持っているものだ。他人へ攻撃性はその裏返しであることが多い。多分、この所長は母校の教授に対して何らかの劣等感を抱いているのではないか、そう思った。私は助教授の下で研究を始めた。助教授も所長に負けず劣らず自信家で攻撃的だった。性格が災いしてか若手の研究者が寄りつかない。しばらくして何故、私がここに送られてきたかを理解できた。助教授には人望がないから若手の研究者が集まらない。そこで事情を知らない私を母校の教授は送ったのだ。

研究に慣れてくると、助教授の奇妙な行動が目についた。マウスの飼育室に出入りする毎に鍵をかけるのだ。誰も実験用のマウスなど盗みはしない。何故そんなことをするのか。じつは飼育しているマウスに別の種類のマウスを混ぜられたことがあるという。同じ遺伝子を持つマウスでないと免疫の実験はできない。違うマウスを混ぜられると、すべての実験データが狂ってしまう。見た目には同じ白いマウスなので、外見からは判断できない。助教授は「あいつが混ぜやがったに違いない」とある講師の名前を口にした。

助教授のいう世界的な研究は意義のある仕事とは思えなかった。ふと気がつくと7月下旬になっていた。私は4日間の休暇をもらい、旅行に行こうと8万円を旅行会社に振り込んだ。休暇の3日前になって、突然、助教授が休みをつぶして実験を続けると言い出した。「この実験は君の学位を取るかどうかの大切な実験になる。だから是非とも休みを取らずに実験を続けよう」という。しかたなく私は旅行をキャンセルした。払い込んだ8万円は諦めるしかなかった。助教授は3人の子持ちで生活が大変なようだった。だから若い私が旅行するのに嫉妬を覚えたのだ。

1年が過ぎたある日、奇妙な身なりをした人物が助教授を訪ねてきた。でっぷりと太って口ひげをはやし、脂ぎった顔にベッコウのメガネをかけている。服装は紺地に幅の広いストライプの入ったスーツ、派手なネクタイを締めている。典型的な詐欺師であることは一目で分かった。助教授は詐欺師と30分ほど部屋にこもっていた。しばらくするとドアが開き、助教授がニコニコしながら出てきた。「僕もとうとう日本紳士録に載ることになった。掲載のための費用が5万円かかるので支払った」という。日本紳士録とは日本の有名人が記載されている書物で、それに名前が掲載されることは大変な名誉とされていた。私が「祖父や父も載っていますが、お金を払って載せてもらったという話は聞いたことがないですよ」というと、「あのヤロー」と血相を変えて飛び出していった。しばらくして「隣の研究室の助教授も騙された」とテレ笑いを浮かべて帰ってきた。それにしてもこの研究所には嫉妬や見栄が渦巻いていて、なんとも不思議な空間を作り出していた。

研究を始めて2年が経とうとしたある日、新聞を見ると[免疫学の手法で心筋梗塞の早期診断が可能に]という小さな記事を見つけた。それは私が大学院でしたいと思っていた研究であった。先を越されてしまった悔しさより、いわゆる世界的研究につき合わされている自分が情けなかった。2年間の国内留学を終え、私は母校の大学院に戻った。

組織の中で生きる

誰でも組織の中にいれば、時には理不尽な扱いを受けることがある。問題なのは組織の少数の人たち、例えば上司が自分に危害を加えているのか、組織全体の問題なのかということだ。組織全体なら組織が時代に合わなくなっている証拠だ。老朽化した組織が生まれ変わるにはずいぶんと時間がかかる。だから自分から居場所を変えるしかない。

組織の中の生き方について父から面白い話を聞いた。父が役所に就職する日、祖父は次のように言った。「お前が役所で上司から正義に反する命令を受け、理不尽な要求をされたら断固拒絶しなさい。それが原因で失職したら、私が食べさせてやる。」そう言われた父は自分が正しいと思ったことを遠慮なく主張して生きてきた。それにしても祖父は何故そんなことを言ったのだろう。それは生い立ちと関係があるように私には思える。
明治17年(1884年)、祖父は岡山県と兵庫県の県境近くを流れる吉井川の近くで生まれた。家は極貧の自作農だった。貧しかったから小学校しか出ていない。祖父は学問の夢を捨てきれず、木こりをして旅費を貯め、東京に出て弁護士の書生となった。だが、お金がなく学校には行けなかった。その後、独学で司法試験に合格して弁護士として神戸で開業した。学歴の無い祖父は帝大出の多い弁護士や裁判官の中で苦労したのかもしれない。そんな経験が父への言葉として出たのだろう。その後、祖父は弁護士会長まで登りつめた。
父は私にも似たような話をした。「私は役所に勤めていて金がないために卑屈にしか生きていけない人を大勢みてきた。よく『子孫に美田を残すな(子供に財産を残してもよいことは何もない)』と言うが、私はそうは思わない。子供には美田を残したい。」こんなことを言ってくれる家族に囲まれていたおかげで、私は奇妙な組織の中でも卑屈にならずにすんだのだった。ちなみに私の診療所が神戸地方裁判所の北側にあるのは祖父の代からここに住んでいるからだ。

神戸地方裁判所

神戸地方裁判所

1904年に建てられたレンガ造りの建物は15年ほど前に改築され、ファサード保存されている。今では古いレンガ建築の上に醜いガラスのビルがそびえている。この写真はレンガ造りの部分だけを撮影したものだ。祖父は弁護士として働き始めたときからこの光景を目にしていたはずだ。

漢方研究

2年ぶりに母校に戻ると漢方の研究を始めた。私の学位に必要な仕事はおおむね終わっていたから時間は十分にあった。私は臨床で使われている漢方薬が本当に薬理作用を持っているのか確かめたかった。
釣藤散 ( ちょうとうさん ) という老人性痴呆や頭痛に使う薬がある。臨床の効果から脳の血管に何らかの作用があると思った。たまたま法医学教室で講師をしている友人が人の脳血管を使ってどんな物質が血管を拡張させるかを調べていた。私は釣藤散の煎じ薬を友人の所に持ちこんで、血管の拡張作用があるか調べて欲しいと頼んだ。煎じ薬は泥水のように濁っているから、そんなものに血管拡張作用があるとは思えなかった。だが微量の煎じ薬で血管の拡張が起った。実験を繰り返すうちに大変強力な拡張作用をもっていることが明らかになった。

植物から抽出された薬は多い。強心剤のジギタリスはジギタリス葉から抽出されたし、マラリアの特効薬のキニーネはキナの樹皮から抽出されたものだ。釣藤散は単味の生薬としてではなく、漢方医学の中で使われてきた合薬としてその薬理効果が証明された。この結果をまとめ、西洋医学の雑誌に投稿した。投稿はしたものの漢方は理解されないだろうと内心諦めていたのだが、論文審査が厳しい西洋医学の雑誌に掲載されることになった。この論文は朝日新聞で紹介され、後日、私はイスクラ漢方奨励賞を受賞することになる。

学位の授与

漢方の研究と平行して私は学位論文をまとめあげた。学位を授与されるためには研究成果が医学雑誌に論文として掲載されなければならない。その後、2人の教授によって口頭試問が行われる。私の学位研究は漢方ではなく癌免疫だったのだが、無事に雑誌に掲載されて、残すのは口頭試問だけとなった。口頭試問の試験官の一人は何かと口うるさい教授だったから、試問に行く前はとても緊張した。だが実際の試問は和やかな雰囲気の中で終わった。

学位が授与されると、教授にお礼をするのが医学界の常識だ。どのくらいのお礼を包むかは講座によって異なる。強制されるものでないから決まった金額は無い。だから先輩に聞きにいって金額を決める。だいたい30万円位だと分かった。そこで30万円を用意して挨拶に行った。うるさ型の教授へ挨拶に行くのは何となく気が引けた。教授室をのぞくと「オー、どうした」と言う。「あのー、学位のお礼に参りました」というと、「そんなことしなくていい。帰れ」と追い返された。私は学位を授与された後も漢方の研究を続けた。

非常勤講師

免疫学教室には頭脳明晰とは言いがたい助手がいた。寄生虫の免疫を研究していたが、自分の行った実験が予想と違っていると、首を傾げながら同じ実験を初めからやり直すのだ。本来、予想と反する結果が出た場合は、なぜそんな結果が出たのか文献を調べて考えねばならない。だが彼は論文を読んで検討することもなく実験条件を変えて自分の都合にいい結果を探し求めるように実験を繰り返していた。

彼のもとに2人の大学院生がいた。皮膚科から来た夏目君と中国人留学生で女医の陶さんだ。彼らが何年がんばっても学位をもらえないのは目に見えていた。私は勝手に皮膚科の夏目君の学位指導をすることに決めた。手ごろなテーマがあったこともあって、夏目君は2年で学位の仕事を終えた。私は彼のために英語の論文を一つ書きあげた。

ある日、夏目君の所属する皮膚科の矢上教授とエレベーターに乗り合わせた。とても怖い先生で皆から恐れられていた。「日笠先生、夏目先生が大変お世話になっています」と教授は私に向かって丁寧に挨拶してくれた。「これから教授会に行くのですが、時間が空いていれば、明日の2時に私の部屋まで来てください」教授はそれだけ言うと、エレベーターを出て行ってしまった。翌日、教授室に行くと大きな革張りのソファに座るように勧められた。私は姿勢を正して座った。
教授が口を開いた。「君は実力さえあれば肩書きなどなくてもいいと思っているのだろう。若いときの僕と一緒だ。だが、実力だけでは世間は認めてくれない。人は肩書きで人を判断するものだ。今日、来てもらったのは皮膚科の非常勤講師になってもらおうと思ったからだ。構わないね。」
「あ、あの、皮膚科は・・・」と私が言いかけると、「何も皮膚科を教えてもらおうと思っていない。君は夏目先生に学位を取らせ、漢方を教えてくれている。皮膚科の医者に漢方を教えるために講師になって欲しい。」私は怖い教授のやさしい心くばりに驚き、感謝の気持ちで一杯になった。そして教授に向かって深々と頭を下げたのだった。

皮膚科の非常勤講師になってからしばらくして、私はお灸の研究を始めた。お灸によってどのくらい皮膚温が変化するのか、正確な値を測定するために薬理学教室に装置を借りにいった。薬理学教室の永田教授は気持ちよく測定器を貸してくれた。実験が終わったので、ウイスキーを一本持ってお礼にいった。結果について話していると、「今、どのくらいの漢方が保険薬として使われているのだ?」と聞く。
「151種類です。こんなに多くの種類があるのだけれど、どの医学部も漢方を教えていないんです。」
「漢方にも副作用があるだろう。漢方薬に含まれる甘草は浮腫を起こすことがあるしね。」
「そうです。トリカブト殺人事件で有名なトリカブトだけでなく、麻黄(まおう)も大量に使うと高血圧や頻脈をおこします。」
「こんな多くの漢方薬が保険で使われているなら自分が漢方薬を使わなくても副作用の患者を診ることもあるはずだろう。」
「ハイ、漢方薬は安全だと思われていますが、注意して使わないと危ない物もあります。」
「そういうことなら他大学のことは別として、ウチの学生には漢方薬の薬理作用は教えておかねばならない。早速、教授会で提言してみよう。もし決まったら君、教えてくれるね。」

こんな経緯から薬理学の非常勤講師も引き受けることになった。

中国からの留学生

夏目君のことはスムーズにいったのだが、留学生の陶さんは惨めな立場にいた。来日してから2年が過ぎでいるのに研究はまったくはかどっていない。毎日、同じ実験をやらされていた。そうしているうちに奨学金が切れてしまった。私は自分の財布から月々5万円をこっそり援助することに決めた。陶さんが好きだったわけではない。高い志を持って日本に来たのに無能な助手のために苦労しているのが気の毒だったからだ。研究は助手が教えているので、表立って手伝いはできない。そこで毎日繰り替えされている実験とは別の実験を密かにさせることにした。1年ほどすると論文になりそうなデータが出だした。そこで論文を書きながら実験結果をまとめていくことにした。彼女は大変優秀な頭脳の持ち主だった。パソコンで漢字、仮名、英語の混じった文をすらすら書いていく。さすがに150倍の競争を突破して医学部に入学し、首席で卒業しただけのことはある。研究は順調だったが、彼女は学位を取ることに疑問を感じるようだった。「学位をもらっても何の足しになるのかしら?」と弱気になる。「学位は重要だよ。日本では大病院の院長になるにも大学講師になるにも必要だ。アメリカではどんなに優秀でも学位がないと実験補助だ。駐車場でも建物の近くに駐車できるのは博士号を持っている人で、実験補助は遠くの駐車場を利用しなければならない」と励ました。
ある日、彼女と夜遅くまで仕事をしていたら、研究室に残っているのは私たちだけになった。私は「コーヒーでも飲もう」と彼女に声をかけ、談話室で休憩することになった。テーブルにマグカップを置いて、話はいつのまにか映画の話題になった。私はキリング・フィールドという映画の話を始めた。これはポルポト政権下を生き延びた一人のジャーナリストの物語だ。300万人もの市民がクメール・ルージュによって虐殺される中、カンボジア人のカメラマンは命からがらアメリカに亡命する。そんな映画の話をすると、「その映画は好きじゃない。私たちはその映画と同じ経験をしているから」という。彼女は1960年代後期に始まった文化大革命の時代に青春時代を過ごした。文化大革命は毛沢東の権力闘争として引き起こされ、1000万人以上の市民が殺害された。

夕日にはためく五星紅旗。

夕日にはためく五星紅旗。
赤い地色は共産主義革命を象徴する。

共産党の幹部だった彼女の父親は家に押し入ってきた紅衛兵によって連れ去られた。連行された人たちは消息不明のままこの世から消えた。幸いにも父親は生きていた。暴行を受け足首と肋骨を骨折したまま牢内に放置された。だが強靭な体力の持ち主だったから生き残れた。
文化大革命の時代、生活は恐怖に満ちていたという。いつ紅衛兵がやって来て家族を連れ去るかも分からない。連れ去られることは拷問や死刑を意味した。隣人の密告によって死刑になる可能性もあった。毛首席の写真が載った新聞を捨てると、それだけで不敬罪になる。そんな恐ろしい体験をしていたのだ。彼女は文化大革命時代、農村での単純労働を強いられた。彼女はその時代をどんな思いで生きてきたのか私は思いをめぐらせた。

「先生」と言う声で私は目を上げた。私はぼんやり手元のマグカップを見つめていたらしい。「先生、将来、一緒に中国に行きましょう。漢方の研究に何か役立つことが出来ると思います。父も先生のために動いてくるでしょう」そういって陶さんはにっこりほほえんだ。数年後、学位を授与された陶さんと私は中国を旅することになる。そして陶さんの紹介で中国漢方界の重鎮と出会うのである。

[情けは人のためならず]という諺がある。人に親切にしておけば、それはいつか自分の利益として帰ってくるという。母校で大学院生だった2年間、私は夏目君と陶さんの論文を仕上げた。勿論、それは自分のためにしたことではなく、無能な助手の下で困っている人の役に立とうとしただけだが、それによって私は非常勤講師になり、また中国漢方業界の重鎮と出会うことになる。最近、この諺は「情けをかけるとその人のためにならない」と解釈されているという。それは人から恩義を受けても有難いとは思わない人が多い社会になってきたからなのだろう。

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