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漢方医

第1回「漢方医」

漢方医

ホテルの部屋から見た英虞湾の夕日

ホテルの部屋から見た英虞湾の夕日

山崎豊子さんの小説、「華麗なる一族」は万表家の人々が志摩観光ホテルに集う描写から始まる。関西の財閥である万表家御用達のこのホテルは近鉄の賢島駅から徒歩で10分ほどの高台にあり、部屋からは美しいリアス式海岸を望むことができる。ホテルが建設されたからすでに50年が過ぎ、近代的なホテルには見劣りするが、それでもホテルを愛して何十年も通い続ける常連が多い。そういう私もその中の一人で20年以上にわたって通い続けている。
このホテルの魅力は何なのだろう。里帰りするようにどうして宿泊しに行くのだろう。
一番の魅力は料理だ。高橋シェフが地元の素材は使って考案した海の幸のフランス料理はすばらしい。あわびのステーキはあまりに有名だが、伊勢海老のクリームスープや伊勢海老のアメリカンソースも絶品だ。あのフランス料理を食べるために働きたいと思わせる美味しさがある。さらにホテルには居心地のよい空気が流れている。
あるときレストランの壁に掛けてある藤田嗣治の絵を見ていると、ソムリエが藤田画伯の好みだった少し辛口のシャンパン、マムはいかかですかと勧めてくれた。料理を出すボーイさんも料理に詳しく、わがままも聞いてくれる。本格的なフレンチなのに、頼めばパンではなくご飯だって出してくれるのだ。

ホテル専用桟橋から見た夕日

ホテル専用桟橋から見た夕日

私は自分の誕生日にホテルに泊まりに行く。誕生日は5月5日の子供の日なので、わざわざ休みを取る必要もない。ホテルに着くと夕食までの間、広い芝生の庭園を散策し、大きなベンチに腰を掛けて風景を眺める。遠くに観光船が着く港が見える。風景を見飽きたらゆっくりと目を閉じて子供の頃から今までの自分の人生を振り返る。これがここ20年の習慣だ。子供のころに住んでいた家や小学校などを思い浮かべながら今までの自分の生き方を反省してみる。

それにしても人は大きな時代の流れ、つまり時流に流されながら生きていくものだと思う。この時流という川の流れに逆らうことはもちろんのこと川を横切ることさえできない。いくらもがいて泳いでも自分の努力だけではどうすることもできない。できることは溺れないように時代の流れを予測してその方向に泳いでいくことだけだ。途中、流木という幸運が流れてきてそれにつかまりながら流れに乗っていくこともできるが幸運は長くつづかない。時代の流れはあまりにゆっくりと流れているので日常の生活では流れを感じずに人は生きているのだ。私が漢方医として開業しているのも昭和に入ってからの漢方復権という時代の流れに乗ったものだ。時代の流れ、人との出会い、運、そういったものが重なり合って人の人生を決めていく。

祖父と漢方薬

手術写真私はいわゆる医者の多い家系に生まれた。父方の祖父は弁護士だが、母方の祖父、父、それに4人いる叔父の中で3人は医者だ。正確には一人の叔父は歯医者なのだが、いずれにせよこういった家庭環境に育った私が医者になりたいと考えるのは自然の成り行きであった。医者が多いといっても開業医は少ない。現在、医者をしている従兄弟や兄、義弟など5人の医者の中で開業しているのは私だけで、他の者は大学病院などに勤務している。父も役人で衛生行政に携わり、晩年は研究所の所長を務めていた。つまり医者でも妙にお堅い職業の人々に囲まれて育った。そういう私も初めから開業医を目指していたわけではない。漢方をするために開業したといってもいい。どうして漢方をするために開業しなければならなかったかという話は後で話すことになる。

医者の家系の中で、私が特に尊敬していたのは祖父だ。あまり裕福ではない家庭に育ち、岡山医専(現在の岡山大学医学部)を卒業した後、苦学してハーバード大学に学んだ。留学する費用捻出するために船医をしてお金を貯めたという。祖父は明治21年生まれだから留学したのは大正時代の初め頃だ。明治維新からまだ半世紀も経っていない頃だけに留学も容易ではなかったに違いない。日本に初めて入ってきた西洋医学はオランダ医学だったが、ドイツ医学へさらにはアメリカの医学へと大きく時代が流れていく。そんな時代に祖父は最先端の医学を米国から学んで帰国した。外科医だった祖父が留学中に取った一枚の写真が残っている。手術中の様子を写したものだが、写真の上に Imitation of operation とあるから写真を取るためにわざわざ手術の真似事をしたのだろう。当時、写真を取るのも今のように簡単ではなかった。祖父の周りに二人のアメリカ人ナースが立っている。

手術写真拡大図この写真正面に立つナースを見てほしい。小瓶のような物を持ち、それを傾けている。これはクロロホルムによる麻酔ではないのかと思う。よくドラマでハンカチに数滴しみこませて眠らせるというシーンを見かける。このクロロホルムが麻酔に使われ出したのは1847年。祖父が留学していたのは1912年頃だとすると、クロロホルムが麻酔薬として使われていたとしてもおかしくない。それにしても100年前は手術といってもこんな粗野なものだった。

その祖父が晩年病に倒れて神戸の病院に入院した。私が小学校の4年生だったから今から45年前、1961年頃だ。母は父親の病状を心配し、漢方医のもとに薬を調合してもらいに出かけた。訪ねた漢方医は板垣退助のような白い髭を生やし、いかにも漢方医らしい身なりをしていた。母は十分な薬代を持って出かけたつもりであったが、薬の値段が高くて、財布の小銭をかき集めてなんとか支払って帰ってきた。その薬を祖父に投与すると、西洋医学の薬のように強い薬理作用をもっていることに祖父は驚いたという。そして母に「この薬はきつ過ぎて今は飲めない。もう少し元気になったら飲むから」と言った。その後、祖父の病状は回復せず薬を飲めないまま亡くなってしまった。

幼い頃に何気なく聞いた話でもそれが潜在意識の中に残り、後で振り返ると人生を決める働きをする場合がある。私の心の中で祖父は西洋医学の第一人者であり続けた。その祖父が漢方薬についてそういう感想を漏らしたということが私の心に大きな影響を与えたことは間違いない。つまり、私は潜在意識の中で、漢方は大変薬理作用のある薬なのだと信じこんだ。祖父に薬を処方した漢方医は日本東洋医学会の会頭を務めたことのある中島先生であり、私に漢方を教えてくれた山本巌先生の師匠であることを知るのは何十年か後のことである。

その後、私の人生の中で漢方が出てくるのは医学部に入った10年ばかり後になる。小学校4年生から大学に入るまでの10年ほどの間、私の関心はどうやって医者になるかということに注がれ、また漢方を学ぶような機会もなかったのである。

1973年9月19日、私は神戸の三宮地下街の流泉書店で一冊の本を手にした。それは中公新書の「漢方」という書物であった。石原 明氏が書いたその本は現在にいたるまでの漢方の歴史を書いたものだ。特に漢方に興味があったわけではない。本好きな私はいろんな書物を乱読していた。その一環として買い求めた。ただ、購入した日が分かるのは、読後の感想メモが本に挟まれていたからだ。そこには次のような文章が書かれている。「中医学は実践の効果を追いすぎたために基礎医学の発展が遅れ、それゆえ生薬は効果があっても何故効果があるか分からないものが多い。漢方は現代医学の発展のヒントにはなっても西洋医学にとって変わって主流の医学になることは考えにくい。」
医学部の2回生だった私は漢方に否定的な感想を持っていた。それから何十年後、医学部の学生に講義するために私はこの本を探し出し、読後メモを見つけた。こんな感想をもった私が今は漢方を専門にしている。人生とは不思議なものである。1963年に初版が出版されたその本にはこんな記述がある。「現在約9万人の医師の資格取得者のうちで、正しい漢方治療をおこなうことのできる専門家はわずかに百名たらずであり、現代教養の上で、湯液・鍼灸の漢方の両面にわたって治療できる医師は30名前後しかいない。」つまり、私の祖父は日本に30名しかいない漢方医の一人、しかも大変腕の立つ人の治療を受けたのだった。

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