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夢の中の老人

第3話「パソコンと体力 」

「もう40年も前になるかな?俺が銭湯に行ったときのことだ。湯船から上がって体を拭いていると全身に刺青を入れたヤクザが入ってきた。俺はイチャモンをつけられないように知らないふりをしていた。だがヤクザはまっすぐに俺に近づいてきて、『兄ちゃん、若いのに腹を出したらあかん』と声をかけた。そしてそれだけ言うと何もなかったように湯船に向かった。そのヤクザ、確かにいい体つきをしていた。全身の筋肉が鍛えられ、均整のとれた体に刺青が入っていた。その時、俺はヤクザが他人の俺にまで声をかけるほど肉体にこだわるのか不思議に思った」と老人は話を始めた。

「俺の腹が出ていることがヤクザの美意識を刺激したのだろう。だが良く考えて面白いことに気づいた。これは単なるナルシズムではない。ヤクザにとって鍛えられた肉体は生きていくための武器なのだとね。だってそうだろう。ヤクザが犯罪に合っても警察に駆け込むというわけにはいかないからね。

例えばヤクザが持っていた覚せい剤を他の組の者に奪われたとしよう。そんな時、警察に被害届を出すわけにはいかない。力ずくで取り戻すしかない。強い肉体は法律の無い場所で生きるヤクザに必要な武器だ。ひょっとするとそのヤクザは俺を自分の組の三下(さんした)と思ったのかもしれない。俺の町にはヤクザが多かったからな。そんなことがあってから俺は人が生きていくために体力がどれだけ必要か考えるようになった。」

伊丹市の市街老人はふと話をやめ、風景に目をやった。眼下には伊丹市の市街が広がっている。大阪国際空港から飛行機がゆっくりと離陸していくのが見える。私は暑さをさけて六甲山の中腹にあるこのカフェに来ていた。ここまで来ると急に温度が下がり市街地の温度より5-6度は涼しい。広いウッドデッキに並んでいるテーブルの中から、ケヤ木の下の席を選んでコーヒーとケーキを頼んだ。ここほどすばらしいカフェは他にあまりない。

東京にもいいカフェがある。たとえば代官山のミケランジェロだ。だがここには本当の自然が溢れている。鳥のさえずりが近くに聞こえ、ウッドデッキの心地よい感触が足から伝わってくる。そんな情景を楽しんでいる私の前に老人が現れて話だしたのだ。

「もし俺たちが警察のない時代に生きていれば、俺たちもヤクザと同じ環境におかれることになる。頼りになるのは自分の体力だけだ。腕力だけでなく、危ないときには逃げ足が速いといった能力も生き抜くためには必要だ。戦争でも体力が勝負を決めていただろう。弓を引く力の強さで矢の届く距離、つまり射程距離が変わってくるし、刀を振り回すにも腕力がいる。そんなことに思いをめぐらせていて、昔は想像以上に体力が大切な才能だと思った。

たとえば体力のある男と無い男が競争して畑を耕したとしよう。体力のある男は大きな切り株や石でも一人で片付けることができるし、休憩を取らずに働き通せる。だから非力な男とは開墾できる広さがずいぶんと違がったはずだ。その後の作業、つまり種をまいたり、雑草取ったりするのにも体力がいる。こういった一つ一つの仕事で差がつくから最終的な作物の収穫量は格段に差がついたはずだ。つまり現在のようにトラクターで畑が耕される前、つまり蒸気機関や内燃機関が発明される産業革命以前は体力が才能として高く評価されていたのだろう。」

「確かに重要だったでしょうね。」

「そうだろう。今ならトラクターで畑を耕すから女でも男と同じように開墾できる。戦争でも鉄砲の引き金を引く力があれば人を殺せる。だから体力は見捨てられ、知力のほうに関心が向いてきた。だが、これからは再び体力の重要性が見直されてくるはずだ。」

「どうしてですか?」

「誰もまともに体を鍛えようとしなくなったからだ。そのため日常生活をこなしていくだけの基礎体力さえない人たちが増えている。

今の子供たちの遊びといえば家の中でのゲームだ。受験勉強が忙しい子供は幼稚園から塾通い、中学になると昼と夜の弁当を持って学校に行き、夕飯の弁当は塾で食べて帰宅する。そんな生活をしながら二十歳を過ぎると体を鍛えようにも鍛えることができないひ弱な体になってしまう。
面白いことにそんな体力のない人でも自分に体力がないとは思っていない。何故なら体力面で劣等感を感じるような教育を受けたことがないからだ。走り競争をしても皆で手を繋いで一緒にゴールするような教育を受ければ、体力が重要だとは誰も思わないだろ。

そういう人が初めて体力のなさに気づくのは就職してからだ。仕事がきつくて付いていけないと悩むことになる。だがそんな状態になってもまだ自分に体力がないとは思っていない。会社が無茶な要求をしているとしか思っていないのだ。そして基本的体力が欠落しているために起こる体調不良を病気と勘違いしながら暮らしている。デスクワークだけなのに肩がこるとか疲れるとか言っている人が多いと思わないか?」

「確かに多いですね。基本的体力が欠落しているために起こる体調不良を病気と勘違いしているというのは面白い見方だと思います。」ん

「労働の質も変わってきたから疲れやすくなったのも事実だ。1日中パソコンの前に座り続けるような労働は以前には無かった。こういう労働形態は一見楽な仕事に見えるが体力が必要だし、時々運動して体の手入れをしてやらないと長い年月働いていくのは難しい。

基礎体力がない人は30歳くらいまでに破綻をきたすようだ。体力が続かずに会社を辞めてしまうか、ひどく体調を壊してうつ病みたいになる人もいる。せっかくいい大学を出て就職しても体力のないために仕事を辞めざるおえないのは、知力を鍛えることばかりに重点を置きすぎたためだ。

今は昔に比べるとずいぶん体力のいらない時代になったが、やはり頭角を現すのは体力のある人だ。一流の人はみんなずば抜けた体力の持ち主だ。ある時、俺は料理の鉄人というテレビ番組に出たことのある料理人とゴルフに出かけた。彼は、『腕のいい板前はあまり寝ない。いい料理を作るためには寝る時間が無い。だから体力のない板前は一流にはなれない』と言う。

『朝早くから卸売市場に出かけて旬の素材を探し、昼は料理の仕込み、夜は料理を作りながら客の接待、客が帰った夜中から厨房を片付ける。もちろん仕事の多くは弟子にさせているが、隅々にまで気を配り、新作料理を考えていると睡眠時間は3時間くらいになる』そう教えてくれた。ゴルフの当日も朝の4時まで仕事をしてから出かけてきたという。板前のゴルフの腕は、たいしたことなかったが、ずば抜けた体力の持ち主であることはラウンドしていてすぐに分かった。

その後、様々な業界の第一人者に会うようになって、一流の人はみんなすごい体力の持ち主だということに気がついた。宗教家、美容師、ソムリエ、大学教授、評論家、弁護士、医者など業界の中で一流になるためには体力が必要だ。知力が大切だと思われている現在でも体力がある人だけが一流になれている。考えてみると当たり前だ。体力が無けりゃ知力があっても他人との競争に負けてしまうからだ。」

「確かに。体力があるからこそ仕事にも打ち込め、学習もできるわけですね。先ほどの話ですがヤクザの世界でも体力が必要なのですか?拳銃やナイフがあればいいじゃないですか?」

「そんな物騒な物を持っているとすぐに警察に捕まってしまう。それにナイフもピストルも使うのに相当な習熟がいる。ナイフで人を刺すと返り血で手が滑って自分の手を切る危険がある。
ピストルは相手から離れて攻撃できるのが利点だが、弾を当てるのが難しい。22口径のピストルなら反動が少ないので誰でも撃てる。だが襲い掛かってくる相手を弾の威力で止める力が弱い。かといって38口径や45口径の拳銃は反動が強いから命中させるのが大変だ。そもそも街の中でドンパチなど始めたらどんな騒ぎになるかわからない。だからそうやすやすと武器を使うわけにはいかない。そうなると丸腰でも使えるのは自分の体力ということになる。
ある有名な親分の自叙伝を読むと、逃げ足が速かったことを自慢している。ピストルで狙われても10メートルも走れば弾を命中されるのは至難の業だし、警察に追われても走って逃げ切ればいい。つまりどの世界も基本は体力ということだ。」

「なるほど基本は体力ですか。」

「俺が、体力が重要だといっているのは、単に現代人の体力が落ちているからだけではない。本当に重要なことは、これからはどんな知力が必要か分からない時代になるからだ。」

「どんな知力が必要か分からない?」

「これを説明するためには知力の世界におこった革命的な出来事を説明しなくてはいけない。1990年以降、パソコン、携帯電話、GPSといった知力を助ける機械が数多く発明された。これらは知力の世界に出現したトラクター、つまり知力を補う大変便利な道具だ。これらによって知的作業がとても楽になった。

算盤ができなくてもエクセルを使えば数字を打ち込むだけで複雑な計算ができる。店のつり銭だってレジが自動的に計算してくれる。記憶力も要らなくなった。電話番号は携帯電話が覚えている。わからないことはインターネットで調べればいい。日常の生活に必要な知力の大半を機械がしてくれるようになった。だから多少知力が低くても十分に暮らせるようになった。」

「19世紀の内燃機関が体力の重要性を低くしたように20世紀末に発明されたパソコンなどが知力の重要性を低くしたと言いたいのですね。」

「その通りだ。ほんの何十年か前まで計算の苦手な人にお店のレジを頼むのに不安があった。だが今はそんな心配はまったくない。つり銭まで計算してレジが出してくれるからだ。
内燃機関が発明されたのが1880年代、蒸気機関やモーターも19世紀に発明されている。こういった機械が本当に個人の体力を補うまでに普及するのにはずいぶんと時間がかかった。日本で農耕機や自動車が市民の手の届く値段で普及するのは高度成長期の1960年代以降だ。そのころから自家用車、洗濯機や掃除機といった日常での体力を補う機械が本格的に導入され、体力が重要だという認識が人々の中から忘れられていった。

一方、コンピューターは1950年頃に誕生した。それから40年ばかりしてパソコンが普及し始めた。つまり本格的に普及しだしてから10年くらいしか経っていない。GPSや携帯電話もそれくらいだろう。つまり知的機械は普及し始めてまだ日が浅い。だから知的機械がどのような影響を社会に与えるか未だに分かっていない。つまり今まで必要だった知力がどのような形で重要でなくなるか分からないのだ。ただし少しずつだが分かってきたこともある。

トレーダーという仕事を知っているだろう。経済情勢や政治情勢を分析して株の売買で儲ける仕事だ。この専門家が自分の判断で株を売買するよりプログラミング売買のほうが儲かるというデータがある。プログラミング売買とはコンピューターに数式を覚えさせて急激な株の値上がりのときは売り、急激な値下がりのときは買いを入れるといった株の売買をすることだ。もしそうならトレーダーは不必要になってしまう。

日本のプログラマーの仕事も危険な知的労働になってきた。プログラマーとして能力の高いのはインド人だ。インドでプログラムを作ってもらうと非常に安くできる。インド人の月給は優秀な人でも数万円だ。おまけに英語ができる。作られたプログラムをインターネットで送れば送料はかからない。だから日本で何十万円も給与を取っていたプログラマーの給料がインド人の給料に近づいていくことは避けられないだろう。

つまり知力で飯を食っていた人の中に革命的変化が起こるだろうということだ。それは50年ほど前、体力のある人たちの中に起こった革命と同じだ。一生懸命知力を磨いてきたのに、それが一瞬にして無駄になってしまう可能性があるということだ。」

「確かに一般的な知的労働者の仕事の多くはデータ管理、つまりパソコンで簡単に処理きるものだから知力のある人より、元気で休まずに働いてくれる人のほうがありがたいという経営者もいますね。私も能力は普通でも明るくて愛想がいい人がいいと思います。」

「そうだな。いつも機嫌のいい人がいい。」

「あなたが言うような知力の必要性が低くなるかもしれない時代に、私たちはどうすればいいのですか?私には小さな子供がいるのですが、将来何にさせようか悩んでいるのです。」

「そういう親は多い。知力社会の変化を本能的に感じているからだ。今のところどんな知性が今後の世界で求められているか分からない。だから他人と差別化して子供を有利に育てるためには勉強もさることながら他の子供より少しばかり体力があるように育てたほうがいい。体力があれば勉強も頑張れるし、成長期に鍛えておかないと体力をつけることができないからだ。だからといってアスリートのような体作りをするために時間を割くと勉強のほうがおろそかになってしまう。その辺のバランスが重要だ。

俺の娘の話をしよう。娘の体力がないのに気づいたのは幼稚園のときだ。じつは子供の体力がどのくらいあるのかを見極めるのは意外に難しい。子供は発達段階にあるから、どのくらいが正常か分かりにくい。
ある日、幼稚園の運動会で娘が遊戯をしているのを見て驚いた。他の園児たちと一列になって立ったりしゃがんだりしているのだが、娘だけが立ち上がるのが遅れる。よく見るとしゃがむたびにお尻が踵についてしまう。つまり中腰ができないほど太ももの筋肉が弱いからテンポが遅れることが分かった。

こんな娘にどうすれば体力がつけられるか悩んだ。もともと体力のある子供なら、ほっておいても体力がつく。体力があるからスポーツをさせてもすぐに上手くなる。上手くなるから回りの人から褒められる。すると得意になってスポーツが好きになり、ますます上手くなるという良い循環が始まる。体力が無い子供は何をやっても上手くならないから運動嫌いになる。運動嫌いにならないようにするためにはどうしたらいいのか?人と競わないスポーツをさせることだと思った。
そこで週に一度体操教室に通わせることにした。小学校の間はそれだけで様子をみた。6年間通わせたら少しばかり体力がついた。中学校に入ると何かのクラブに入部しなくてはならない。だが俺は娘をスポーツ部には入れなかった。」

「どうしてですか?」

「中学や高校の運動クラブは結構きつい。対外試合があるから顧問の先生が鍛える。早朝練習や合宿もある。生まれつき体力のある子でないとクラブ活動をしながら勉強をすることができない。娘はそれほどの体力がない。そこで俺は学校とは別に娘を週に一度テニスクラブに通わせることにした。この戦略はうまくいった。体調が悪い時はテニスを休ませて勉強とのバランスをとった。おかげで中高の6年間で十分体力がつき、大学では拳法部に入るまでになった。運動部に入れていたら勉強は出来なくなっていただろう。」

「なるほど。学校の運動部は休部するのが難しいから学校の外で運動をさせ、お嬢さんの体調に合わせて休ませたりしながら体力をつけさせたわけですね。」

「そうだ。運動部は体育会系の先生が顧問をしているから体力のない子供のことが分からない。何でもかんでも根性がない、サボリだと決めつけてしまう。そういうことを避けるための方法だった。

子供にどのくらい運動をさせれば十分な体力がつくのか難しいところだ。少なくとも学校の体育だけでは不十分だ。そんな例を一つあげよう。俺の妻だ。結婚した時、妻はペットボトルの蓋が開けられなかった。ペットボトルの蓋は普通の人なら簡単に開けられるように作られている。それが空けられない。そんな体力なのに学校では普通に体育の時間を過ごしてきたという。もしそうなら体育の授業は妻の体力強化に役立たなかったということになる。

妻は子供ができると毎日のように体調不良を訴えるようになった。頭痛がする、肩がこる、お腹が痛い、吐き気がするなど毎日、毎日、体調不良の話を聞かされた。この程度の体力で妻として、また母親として日常の生活をこなしていくのは無理だった。俺はどうしても妻に体力をつけさせねばと思った。」

「どうしたのですか?」

「体力をつけさせるために何か運動させなければならない。だが30歳を越えた妻にどんな運動をさせばよいのか迷った。ジョギングやジムのような運動は退屈で長くは続かない。テニスのように心肺機能が必要なものも駄目だ。30歳過ぎから始めても上手くなれるもの、そういったことを考えると出来るスポーツは一つしかなかった。」

「そのスポーツってなんですか?」

「ゴルフだ。ゴルフはハンディがあるから上手な人とでもラウンドできるし、いつの歳からはじめても上手になる。そう思ってゴルフの打ちっぱなしに連れていった。アイアンでボールを打つように教えたら、『なんでこんなに重いものを振らなきゃいけないの?』と怒り出した。

ケーキセット『いい運動になるから。初めは下手でもだんだん上手くなる。ゴルフだけはいつの歳から始めても上手くなる唯一のスポーツだ』そういって嫌がるのを少しずつ慣らしていった。たまにうまくボールが打てると『ナイスショット。スジがいいね。結構、才能があるかもしれない』そう言って褒めた。
ボールが遠くへ飛ぶようになると妻も楽しくなる。誰と競うわけでもないので、気ままに練習できる。そんなことをしているうちにゴルフコースにも行くようにになった。

だが妻はすぐに丈夫になったわけではなかった。ゴルフコースへ行く道で気分が悪くなって吐いてしまうことも度々あった。

何年かするうちにコースに出かける回数が年40回くらいになった。真冬の寒い日から真夏の暑い時も2人でラウンドした。そうするうちに妻はペットボトルの蓋を簡単に開けられるようになった。普段の生活でも体調不良を訴えることがなくなった。他にも変わったことがある。神経質でなくなったことだ。体力のない人は些細なことで体調を壊すからどうしても神経質になる。丈夫になれば些細なことにこだわらなくなる。こんな経験から体力をつけることがどれだけ人生を変えるかを知った。

成長期を過ぎた人間に体力をつけさせるためには大変な時間と忍耐が必要だ。時間をかけてゆっくりと運動を増やしていかないと、かえって体調が悪くなる。やはり若いときに鍛えておかねばならない。学校でも勉強のできない子供に補講をするように体力のない子供には時間をかけて体育の補講をしたほうがいいと俺は思っている。」

「本当に体力って大事ですね。でも誰も体力が大事だなんて思ってないのですね。」

「時代が急激に変化するときは人々の意識が時代の変化に遅れてしまう。今はちょうどそんな時期だ。今までの記憶力を中心とした知力に重きを置きすぎると失敗する。『高い授業料払ってビジネススクールなんか出てどんな役に立つの?』そんな疑問がわいてこないか?」

「確かに。」

「不必要な知識を身につけるより体力をつけることだ。体力があれば遊ぶのも楽しいし、ご飯もおいしく食べられる。働くのも楽しくなる。機械化された現代でも一定の体力はどうしても必要だ。どんな知性が求められているか分からない混乱の時代を生き抜くために少しばかりの時間を体力作りに割くことが人生を勝ち抜く上でも、また人生を楽しむ上でも重要だと思うのだ。」

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